「文藝春秋」90年のベスト9

菊池寛、昭和天皇から立花隆まで

半藤 一利 作家
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モットーは「人間的興味」「時流を疑う」「当事者主義」

半藤一利氏 ©文藝春秋

 今からちょうど九十年前、「文藝春秋」は創刊されました。この九十年の「文藝春秋」を支えた“ベストナイン”を選ぶとすると、やはり創業者の菊池寛から始めなければならないでしょう。

 彼の発案によって作られた大正十二(一九二三)年一月号は、冒頭、芥川龍之介の「侏儒の言葉」に始まる、本文二十八ページの薄い冊子でした。現在の「巻頭随筆」欄だけの雑誌と考えれば分かりやすいでしょうか。論文も、小説も一切なし。菊池寛は既存の雑誌にない、非常に珍しいスタイルの雑誌を生みだしたのです。

 創刊した大正十二年は、世界的な不況でした。日本も例外ではなく、株価、一般物価、給料など、すべて暴落。十銭とタバコ一箱ほどの値段だった「文藝春秋」は、他誌と比べ非常に安く、三千部刷った創刊号は完売します。「私は頼まれて物を云うことに飽いた」で始まる、菊池の創刊の辞は大変有名になりました。

 しかし、創刊まもなく危機が訪れます。九月の関東大震災です。菊池はこの震災に大変なショックを受けて、「東京の文化はおしまいだよ、これからの文化機関は大阪にうつるだろう」と、一度は雑誌を辞めて大阪に移住しようとします。九月号、十月号は休刊。周囲がなんとか翻意させ、再び雑誌作りを始めたのは十一月の「震災特集号」でした。

 初期の「文藝春秋」は、作家仲間を集めて作った文芸雑誌の色彩が強いものでしたが、昭和の幕開けとほぼ機を同じくして、菊池は政治や経済なども扱う総合雑誌の道を選びます。

 そのとき、菊池が掲げたのが「六分の慰楽、四分の学芸」でした。どんなテーマを扱っても、その核に「人間的興味」を据え、読むこと自体が楽しい雑誌を作る――。そんな菊池が発明したのが「座談会」という形式です。大家、専門家を迎え、菊池や久米正雄、山本有三らが「人間的興味」から質問し、平易な言葉で伝える、というのが初期のやり方で、第一回のゲストは昭和二年三月号の徳富蘇峰。以下、後藤新平、新渡戸稲造と続きます。後には、「職業婦人座談会」「大事件探訪戦座談会」「前科者座談会」と好奇心の赴くまま、さまざまな座談会が企画されています。

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source : 文藝春秋 2013年01月号

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