昭和天皇の養育係を務めた後、妻として鈴木貫太郎元首相を支え賢夫人と呼ばれたタカ(1883〜1971)。孫の道子氏が素顔を綴る。
終戦時の首相鈴木貫太郎と2人目の妻足立タカの婚礼写真を見ると、海軍少将の礼服で堂々と立つ祖父48歳。側の祖母は33歳。裾模様の黒紋付き姿で慎ましく座るが、眼差しには意志の強さが窺える。
竹早幼稚園の保母をしていた時に見込まれて、後の昭和天皇迪宮が数え年5歳の時、秩父宮と2人のご養育係となり、後に高松宮も加わった。初めて出仕してご挨拶すると、迪宮がタカの膝の上にちょんと座ったという。兎の話も可愛らしい。一番下の高松宮が「兎の長い耳はのりで貼ってあるの?」と聞かれると、秩父宮が「糸で縫い付けてあるんでしょ」とおっしゃった。すると迪宮が「血管で繋がっているんだよ」とお答えになった。一つ違いでも、陛下はご聡明だったとタカは言っている。迪宮が皇太子となったのを機に、タカは10年お勤めして退職した。その後間もなく、貫太郎との新たな人生を歩むこととなる。
タカが賢夫人と呼ばれるようになったのは、昭和11年の二・二六事件からのように思われる。侍従長の貫太郎も4発の銃弾を受けて瀕死の重傷を負い、血の海に突っ伏した。「トドメ、トドメ」の声に、兵隊に囲まれながら隣室から見守っていたタカが、「トドメだけはしないでいただきたい」と懇願し、一隊が引き上げた話は美談となっている。隊長の安藤輝三大尉は貫太郎と面識があり尊敬していたので、初めから殺すつもりがなかったのが真相ではあるが。
タカはおろおろする家人たちを指揮し、タオルで止血したり、宮内省ではなく直接宮中へ第一報を告げたり、沈着な対応ぶりが伝えられる。そこへ塩田広重博士が駆け付けてこられて、包帯代わりに羽二重二反を裂いて止血したが、これはタカが白無垢の衣装、一振りの短刀と共にお嫁入りの時に持参したもの。いざという時には夫と運命を共にする覚悟だった。
祖父は意識が戻った夜、枕辺に奈良からきたという観音様が現れ、「もう大丈夫だから、安心してよい」と申されたと祖母に話した。そのあたりから祖父母は観音信仰となっていく。お礼参りに浅草寺へ。私たちも何度も浅草の観音様へお参りにいった。また祖父母ともに「霊魂は不滅である」と固く信じていた。
貫太郎は、最後のご奉公のために生かされたのに違いない。昭和20年4月、天皇陛下にお頼まれして固辞出来ず、78歳の老体で総理大臣となった。そして陛下とあうんの呼吸で、ご聖断をもって終戦に漕ぎ着けた。表向きは陸軍と歩調を合わせて徹底抗戦の姿勢をとり、家族だけには「自分はバドリオになるぞ」と、イタリアの敗軍の将の名をもって終戦の意志を密かに告げたが、もとより自分の命を捧げてのことだった。父一(はじめ)も要職を辞して祖父の耳代わり、ボディガードとして秘書官となって守り、相談役ともなった。タカは常に夫が最善の状態にあるように、食事や健康に気を配った。
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