「上方漫才の至宝」と称された夢路(ゆめじ)いとし(1925―2003)、喜味(きみ)こいし(1927―2011)。1937(昭和12)年のコンビ結成から、兄のいとしが他界する2003(平成15)年まで、絶妙の呼吸で繰り出される話芸は、観客を魅了し続けた。
漫才を始めたのは僕が10歳、兄が12歳のころ。うちの両親は旅芝居の一座にいましたから、兄貴も私も小さい頃から舞台には立っていました。当時、私は女剣劇の一座の子役で、兄貴は東京のPCL(東宝の前身)で映画に出ていた。ところが昭和11年の2月に、二・二六事件が起きて、こら大変や、と親父が兄を連れ戻したわけです。そこで、この子らに漫才させたらどうや、という話が出て、荒川芳丸師匠の一座に入ることになった。いうたら、二・二六事件がいとし・こいしを生んだ、ということになるんでしょうか。
兄貴が言うには、「漫才は楽でええで」。芝居と違って化粧も衣装もいらん、洋服着たまま出て行ってしゃべればええ、というんです。ところが、演(や)り始めてしばらくして、しまったと思いましたな。しゃべるだけでお客さんを喜ばせるのがどれだけ難しいか。

昭和15年の冬のことです。「吉本興業で手見せがあるから受けてみい」と言われて、大阪・千日前にあった南陽館という寄席で漫才をやりました。手見せ、というのは今でいうオーディションですな。終わっても、吉本側からは何も言われない。あとで通知が来るんやろなと思い、兄貴と二人、南海電車で家に帰る途中、鳥打帽にマスクの乗客が「お前ら良かったぞ、漫才!」と声をかけてくれた。「ありがとうございます」と頭を下げると、そのお客が「わしや、わしや」とマスクをずらした。それが、トレードマークの口ヒゲを生やした横山エンタツ先生やった。エンタツ・アチャコといえば漫才の最高峰で憧れの人やったから、兄貴も私もびっくりするやら、感激するやら。
当時、吉本の劇場で最も格式が高かったのが法善寺の花月と、北新地の花月倶楽部でした。長年吉本にいる芸人でも出たことのない人が多かったのですが、私らは3回ずつ出してもらえました。ただ、大きな劇場に子どもの私らが出ているのが面白くなかったのかもしれません、「あんな若い奴のおるところでは衣装が着れん」と楽屋から出て行ってしまう師匠や、聞こえよがしに「誰々先輩が出てんのに、よう演りよるな」「子どものあとで誰が出るねん」などと噂する先輩連中がいてた。それで楽屋にはおられへんから、高座が済むとまず「お先に失礼しました」と楽屋に挨拶だけする。それから、すぐに楽屋口を出て、神社の横手の路地に、次の出番まで兄貴と二人座っていたのを覚えています。
漫才の台本は、兄が書いていました。戦後間もなく、漫才作家の秋田實先生の「若手漫才研進会」に入るのですが、秋田先生の台本は箇条書きなんです。「うどんの話」とか「やきめしの話」とか書いてあるだけで、それを兄貴がセリフを考えて漫才にする。秋田先生がまともに書いてくれたのは、二本くらいやったと違うかな。兄は、頼まれて、他の漫才さんにも台本を書いていました。文才がおましたな。
趣味の方向は正反対
ただ困ったのは、漫才の最中に、ふっと思いついた洒落を言うたり、台本にないことをちょいちょい入れてくるんです。兄貴本人はそれでよろしいわ、こっちはつっこんでええのか、ボケてええのか、とっさに判断がつかん。それでマゴマゴしているのを、「いとこいは独特の間を取る、あれがええ」なんて言うてくれる人もいましたが、私の方は冷や汗もんです。
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source : 文藝春秋 2009年8月号