「君は誰より粘り強いリポーターだよ」
2019年3月21日、ジョン・レノンの狙撃犯マーク・デイヴィッド・チャップマンに初めて会ったとき、彼はわたしの顔を見ると、開口一番そう言った。
1980年12月8日、ジョン・レノンがニューヨークのダコタ・ハウス前で射殺された時、〈なぜ〉そんなひどいことが起こったのかどうしても解せなかったわたしは、その理由を探し求めた。犯人の妻がハワイに住む日系人グローリア・アベだとわかると、オアフ島カイルアにあるアベ家を訪ねたが、本人からは面会を拒否された。

それから3年後、チャップマンに初めて手紙を出した。わたしは日本人のジャーナリストで、インタビューしたいと書くと、弁護士から断りの手紙に続き、本人から返事が届いた。インタビューは認めるが、彼の本を書いている英国人記者の後になるという。しばらくやり取りが続き、4通目の長い手紙には、日本に旅したことがあって日本は大好きだと書かれた後に、続けて「あなたの写真を送ってください」という一文があった。当時、まだ30代でニューヨークに一人暮らしだったわたしは、彼の狂気の片鱗に触れた思いで全身に寒気が走った。そして全ての資料を箱に詰めて棚の奥にしまった。再び箱を開ける日が来るとも思えなかった。
30数年の歳月が過ぎ、大病から生還した夫ピート・ハミルと、彼の故郷ブルックリンに引っ越すことになった。彼の膨大な資料を整理しているうち、1通の手紙がぽろっと転がり落ちてきた。宛名を見ると、ジョン・レノンからピート宛に送られてきたものだった。これは「あの箱を取り出せ」というサインではないかと思えた。
ピートは1963年、ロンドンの「アド・リブ」というクラブでジョンに会って殴り合いの喧嘩寸前になったというが、ジョンとヨーコがニューヨークへ住むようになって政府の迫害を受けると2人を擁護するコラムを書いた。ピートがジョンに最後に会ったのは、1975年、カリフォルニアからダコタ・ハウスに戻り、ヨーコと再び生活を始めたジョンへのロング・インタビューだった。
懲役20年以上の無期刑を宣告されたチャップマンはニューヨーク州北西部にあるウエンデ刑務所に移されていた。2通の手紙と新年のカードを出しても返事がなく、諦めようと思っていた2019年2月15日、妻のグローリアから電子メールが届いた。2人に会いに刑務所まで来ないかという誘いだった。グローリアがバッファロー空港まで迎えにきてくれて彼女の運転で刑務所まで案内してくれるという。
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