吉永小百合 撮影現場の失神

浜田 光夫 俳優

NEW

エンタメ 芸能 映画

1957(昭和32年)にデビューして以来、女優の吉永小百合(よしながさゆり)(1945―)は今も映画の第一線を走り続けている。44本もの映画でコンビを組んだ俳優の浜田光夫(はまだみつお)氏(1943―)が撮影秘話を語る。

 先日、『青春浜田光夫』という本を出版しましたが、小百合ちゃんに帯の推薦文をお願いしました。「あなたと一緒に築き上げた映画は私の宝物です」と書いてくれましてね。字が上手なものだから、活字にせず、そのまま載せてしまいました。

 小百合ちゃんとは44本もの映画で共演しましたが、最初は『ガラスの中の少女』(1960年)でした。僕は当時17歳で、デビュー作でしたし、彼女は15歳で主演第一作でした。

吉永小百合氏 ©文藝春秋

 中学時代の同級生同士が純愛のまま心中してしまうという映画なんですが、心中のシーンを富士五湖の本栖(もとす)湖で撮影しました。当時、本栖湖はまだ開けていなくて神秘的なムードでね、そこで自殺した小百合ちゃんが湖に浮かんだまま亡くなるというシーンを30~40分かけて撮影しました。10月の寒い日で、僕らは、たき火を囲んで見守っていた。なかなか撮影が終わらなくて、「大丈夫か」なんて声をかけるんですが、何も言わず演技をしている。ようやくカットになって、すぐ起き上がってくるかと思ったらピクリともしない。急いで駆け寄ると、そのまま失神していました。その精神力の強さに僕はびっくりしました。

 僕が最高傑作だと思っている『泥だらけの純情』(63年)は、小百合ちゃんにとってもきっと3本の指に入る作品だと思いますが、このときの彼女のがんばりもすごかった。大使の令嬢とチンピラの恋愛で、逃避行のあげくやはり最後は心中するんですが、赤倉の新雪の中で子供のように無邪気にはしゃぎ回って睡眠薬を飲む。僕はスーツだけど、彼女はスカート姿で、雪の中を転げ回るのですから、きつかったと思うけど、泣き言一つ言わない。

 子供の頃から俳優魂を持っていました。年下だけど僕なんかよりしっかりしていて、一緒に新宿の甘味処であんみつを食べたときのこと、食べ終わるとテーブルの下から2人分のお金を渡そうとするんです。自分の分は払うよと言うと、「こういうときは男の人が払うものよ。雑誌の撮影で謝礼をもらったから気にしないで」なんて古風なことをするものだから、それ以来、頭が上がらなくなっちゃった(笑)。

 珍しい土地のロケから帰るときも、お土産を買ってくれて、「お家に持って帰ってね」と渡してくれる。だから、僕は彼女を「一つ年下のお姉さん」と呼んでいるんです。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

初回登録は初月300円・1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

18,000円一括払い・1年更新

1,500円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2013年1月号

genre : エンタメ 芸能 映画