総理大臣・佐藤栄作(さとうえいさく)(1901―1975)、寛子(ひろこ)夫妻は従兄妹同士で、しかも同郷(山口県田布施町)である。のちに寛子が語っているように、「幼い頃から、何となく周囲の雰囲気として」栄作と寛子は許嫁(いいなずけ)とされた。田布施時代の栄作は地味で、一高生の兄・信介が帰郷してチヤホヤされている間、一人で釣りに行っているような少年だった。
栄作が鉄道省に勤めだしてまもない大正15(1926)年、2人は結婚する。新居は門司(もじ)駅にほど近い、二間の官舎だった。栄作の地盤を継いだ信二(しんじ)氏は二男。
おやじは無口で、必要無いことはいっさい口に出さなかったですね。「記者泣かせ」と言われましたが、家庭においてもおやじは口が堅かった。家のなかでデンと構えて口数少なく、という昔ながらの日本の親父でした。大黒柱、という表現がぴったりかもしれません。
休日には高尾山、村山貯水池などに一家全員でハイキングに行ったものです。おやじは釣りが好きで、釣りにもよく行きました。子供の頃からウナギ釣りの名人だったとかで、ジーッと糸を垂れてツキを待つというところが性格にも合っていたのでしょうか。明日は休みだ、というと前の晩から仕掛けを作り、ミミズを掘っておく。しかし当日朝になると、おやじはなかなか起きてこない。やれ眠い、風が吹いた、とぐずぐずしている。それでも何とか引っ張り出しては多摩川や東京湾に連れていってもらったものです。釣った魚はおやじが捌(さば)き、調理するのはおふくろ、と決まっていました。

ある夏の夕方、釣りから帰るとおふくろと祖母がいない。デパートに中元を買いに行ったらしいのですが、晩飯時になっても帰ってこない。おやじは腹が減ると非常に機嫌が悪くなる質で、2人が帰るなり「どうして遅いんだ!」と怒り出した。おふくろも応戦して、たちまち夫婦喧嘩が始まった。この喧嘩で被害を受けたのは私で、大事にしていた釣竿が投げられて折れてしまった。まあ、このような他愛も無い夫婦喧嘩はありましたが、普段はのほほんとした和気藹々の夫婦でしたね。
おふくろは伯父の松岡洋右にかわいがられたようですが、おやじと結婚する時、「大事なことは佐藤君に任せて、君はでしゃばらないほうがいい」と言われたそうで、その教えを守ってか、おやじの仕事に口を出すようなことは皆無でした。訪米の際に話題になったミニスカートも、目立とうとしたのではなく郷に入らばということで決めたようです。もちろん、おやじがとやかく言うことはなかった。和気藹々でも、夫婦の垣根というものがあって、お互いのことには干渉しあわなかったようです。
お手伝いさんが「暇をくれ」
人事情報が事前に漏れたり、「あそこに異動したい」というような運動をしたりされたりするのが大嫌いだったから、自分の異動でさえ、内示を受けてもおふくろに言いませんでした。課長になる時も、朝飯の卓袱台(ちやぶだい)で「昨夜は課長になった夢をみたよ」と言っただけで、その日の夕刊をみて家族が異動を知るような有り様でした。たまにおふくろが「〇〇さんて、いい人ね」とおやじの部下を誉めたりすると、ジロリとあの大きな目を剥いて「君も随分エラくなったな」と、ピシャリと言う。他人の仕事や人事については口を出すな、という方針は一貫していました。
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source : 文藝春秋 1998年2月号

