のちに共に首相となる岸信介(きしのぶすけ)(1896―1987)と佐藤栄作(さとうえいさく)(1901―1975)は山口県田布施(たぶせ)町の佐藤家に生まれ、次男の信介は岸家に、三男の栄作は佐藤本家の養子となった。この佐藤、岸両家と密接な関係にあったのが、同郷の親族、松岡(まつおか)家だ。松岡家は戦前の大物政治家で外相を務めた松岡洋右(ようすけ)を出した。その洋右を大叔父に持ち、衆議院議員、参議院議員を務めた松岡満壽男(ますお)氏が、岸、佐藤2人の素顔を語る。
松岡家は代々佐藤家、岸家とつながりが深く、特に松岡洋右さんは、地元出身の大物政治家として、両家のいろいろな面倒を見ていました。中でも私の父の三雄は、佐藤栄作さんと親戚(従兄妹の寛子が栄作の妻にあたる)で、同世代だったので、いろいろと気が合ったようです。岸信介さんは父が満洲国の職員だったときに満洲国総務庁次長を務めていて、親しくしていました。
子供世代の私から見ると岸さんと栄作さんの性格はまるで正反対でした。岸さんは明るくてとにかくよくしゃべる。そしてお酒もたくさん飲む。一方で、栄作さんは真面目を絵に描いたような人で、酒は飲みませんでした。
でも、私はそうでないところも見ていました。高校時代に東京の栄作さんの家に下宿をしていたときのことです。当時、栄作さんは吉田茂内閣の官房長官でしたが、下戸なので夜の会合には参加しないで帰ってくる。そして「ちょっといいかい」とよく私を誘ってパチンコ屋に出掛けるのです。私は未成年でパチンコはできませんから待っているだけ。一度、あの大きな目を見開いて「ぜんぜんでんじゃないか!」と、パチンコ台の前で大きな声を出している姿を見ました。今ですと現職の閣僚がパチンコ屋で愚痴をこぼしていたら、メディアからバッシングされるでしょうが、大らかな時代でした。

のちに縁あって政治の世界に私も身をおくことになりましたが、政治の師となったのも栄作さんでした。密談の仕方も独特です。亡くなる直前の1975年に栄作さんが山口に帰ってきたときのことです。料亭で食事をした後、突然、あのギョロ目で部屋を見回すのです。そして誰もいなくなったことを見計らって話を始めた。私がたまたま栄作さんの考えに「私は結構です」と反対したところ、「それは違うぞ! 満壽男くん」と大目玉を食った。
考えてみれば、子供の頃から栄作さんには怒られてばかりでした。あんなに親身になって人を叱ってくれるのは、栄作さんだけだったと今では感謝の想いがあります。
真面目な栄作さんは、演説が面白くないことで有名でした。本人は聴衆を笑わせようとするのですが、誰ひとりピクリとも笑わない。私も栄作さんなりの冗談を聞くたびに閉口したものです。
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source : 文藝春秋 2018年1月号

