石牟礼道子 光る星のような存在

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 1950年代、チッソの工場廃水に含まれるメチル水銀が水俣病を引き起こした。作家の石牟礼道子(1927〜2018)は、患者と家族の言葉にならぬ声を『苦海浄土 わが水俣病』(1969年)で描き、水俣病闘争の中でも黒地に「怨」の一字を染め抜いたのぼりを掲げて、人々の傍らに立ち続けた。
 

 東日本大震災と福島原発の事故の後にその作品を読み直し、晩年、パーキンソン病で入院していた彼女を熊本の病院に訪ねた作家・いとうせいこう氏が、その忘れがたい時間について振り返る。

『苦海浄土』で水俣病を描いた石牟礼道子 ©共同通信社

 石牟礼さんに一度だけ、インタビューのために、熊本の病院でお会いしたときのことが忘れられません。熊本に暮らす作家の坂口恭平君とラジオのディレクターと3人で、彼女の病室に伺いました。ベッドから坂口君に抱えられて車椅子に座った石牟礼さんの第一印象は、まるで可愛らしい少女のようでした。ところが話を伺い始めると、その印象はまた別のものに変わりました。一つの問いに、遠くから近づいていく語りに凄さを感じたんです。

 インタビューですから、こちらは聞くべきことを聞く。水俣病の被害が十分に補償されないうちに、東北で原発事故が起こり、放射能が漏れて汚染が始まった――そのことをどう思われますか、と。ところが石牟礼さんは、そこから全く遠い話を始めるんですね。日本の様々な場所で起きた出来事の話が30分ほども続き、正直、「聞くべきことを聞けないパターンかな」と思ったほどでした。しかし最後になって、彼女はいつの間にか最初の問いの近くにたどり着いていました。そうして彼女が「日本列島の背骨みたいなものが汚染されている」と言ったとき、僕はその言葉の迫力に圧倒されました。一問一答というレベルではなく、質問を深いところで受け止め、日本列島全体のあり様がずっと語られていたことに気づかされたからです。

「日本列島の背骨みたいなものが汚染されている」と語った石牟礼

 そもそも僕が彼女に会いたいと願ったのは、3・11の後、この出来事をどう受け止めればいいのかと考えたからです。「公害」が人間社会に何をもたらすのかを問う上で、かつて読んだ石牟礼さんの作品が立ち上がってきた。公害が起きたとき、政治は決まって被害者の間に差をつけ、内側を分裂させます。その構造とかつて対峙した石牟礼さんは光る星のような存在でした。

こんな歌があったわね、と…

 そんな思いの中で石牟礼さんとお会いして実感したのは、彼女の語りは人間の側からだけではなく、自然の側からの声を伝えるものであるということでもありました。『苦海浄土』でも、ある章では患者に乗り移るように語り、次の章では一転して医学的な記述が続く。どんどん語りが移り変わっていく。そこには陸から海を見る視点と、海から陸を見る視点も混じり合っている。海辺にいる名前もないような小さな生き物すべてが、主人公として立ち上がってくる。石牟礼さんはそういう世界を、ずっと描き続けてきた。

石牟礼道子氏 Ⓒ時事通信

 そして、作品を繰り返し読むうちに、僕はこう思うようになりました。彼女はそうした自然や近代以前の日本にあった「歌」の世界とつながっている人なんだ、と。実際、熊本で会った時も、彼女の語りは途中から歌になりました。「こんな歌があったわね」と小さな声で歌う。それは石牟礼さんが親しんできた渚のリズムであったでしょう。そして、その歌の世界として語られたものが、質問のテーマとつながっていくんです。

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source : 文藝春秋 2026年11月号

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