著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、久坂部羊さん(作家・医師)です。
絵・村上豊
父は医者のくせに医療が嫌いで、こむずかしい医学の知見を信用していなかった。それは父が麻酔科医で、ある種、医療の傍観者だったからかもしれない。手術の麻酔をかけながら、外科医たちの危なっかしい操作や、いい加減な判断を見聞きして、医療の限界みたいなものを肌で感じていたのだろう。
若いころの父は、糖尿病で厳密な食事療法を実行させられたが、一向に血糖値が下がらなかった。戦中派で飢餓体験があったため、食いしん坊の父には食事制限が大きなストレスだったようだ。そこで父はあっさりと食事制限をやめた。糖尿病の心配については、検査をするから気になるのだということに気づき、血液検査を受けないという荒業に出た。
そのせいで、後年、血糖値が700を超え、インシュリンの自己注射を余儀なくされたが、あっけらかんと受け入れ、その代わり甘いものは食べ放題、タバコも吸い放題の超・不養生患者になった。
父のモットーは「無為自然」と「足るを知る」。不自然に食欲を抑えるのはよくないという考えで、今の生活に満足し、あるがままを受け入れる。当然、出世や金儲けには興味を持たなかった。
65歳で定年を迎えると、いっさいの仕事をやめ、自由で気ままな毎日を送った。自転車散歩、喫茶店巡り、展覧会や映画の鑑賞。趣味の多い父の辞書に、「退屈」の文字はなかったようだ。
晩年、父が恐れたのは、無闇な長生きである。医師として、超高齢の悲惨さを熟知している父は、95とか100近くまで生きたらどうしようと心配していた。
そんなとき、85歳で前立腺がんの診断を受けた。がんなら治療さえしなければ、2、3年で確実に死ねる。父は「これで長生きせんですみますな」と真顔で喜び、診断した医師を唖然とさせた。
以後、糖尿病の合併症で足の指が腐りかけてもほったらかし(不思議に自然治癒した)、脊椎の圧迫骨折でも病院には行かず、寝たきりになっても褥瘡(じよくそう)予防などはせず、食欲がなくなればほぼ絶食、便秘が1カ月続いても知らん顔という生活で、87歳の天寿を全うした。
その間、私は医学的な常識をいくつも覆された。父は運がよかっただけかもしれないが、無理な治療よりも無為自然、少欲で足るを知ることの効用を、身をもって教えてくれたように思う。
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source : 文藝春秋 2020年3月号