COVID-19のパンデミックがエンデミック化した時、我々を待っているのはどのような日常なのだろうか。暗黒の未来をスケッチする。「極端な想定」によって可視化できるものとは?
川端氏
語りうる最悪のシナリオは
現時点(2020年6月)から想定できる範囲内での「最悪」を考える。
まず、将来シナリオとしてよく語られるのは「治療法の確立」と「ワクチンの開発」による「出口」までなんとか持ちこたえることだ。しかし、ここで「できる」と仮定されている「治療法」や「ワクチン」は本当に実現するのだろうか。ウイルス感染症について対症療法以上の治療法がないというのはよくあることだし、有効なワクチンが開発できないことも多い。
そんな場合、人口のかなりの部分が感染を経験して「集団免疫」を獲得するしかなくなり、世界的に数千万人の死者を出す、まさにスペインかぜクラスの厄災になることも視野に入ってくる。
ところが、実はこれも最悪とはいえない。というのも「集団免疫を確立できる」という仮定にも危うい部分があるからだ。SCIENCE誌に掲載されたハーバード大学の理論疫学チームの論文では、人類が集団免疫を獲得できるには2022年までかかるとして話題になったけれど、ぼくは同じ論文の中で検討されている「免疫が長続きしない場合のシミュレーション」に目を奪われた。例えば、獲得した免疫が40週間で消えてしまうなら、我々は毎年、大きな流行の波に延々と洗われることになる。免疫が長続きしないことは決してありえないことではなく、現に「かぜ」のコロナウイルスの免疫は長続きしない。だから、生涯にわたって何度もかかりうる。
というわけで、今、語りうるシナリオの中で最悪なのは、「ワクチン」「治療法」「感染による集団免疫」のいずれもが確立しない場合だ。
COVID-19の「致命割合」は数パーセントで、1万人の確定患者のうち数百人が亡くなる。一方、季節性インフルエンザは、1万人中、2、3人で、関連死を含めても10人だ。COVID-19が桁違いの「死に至る病」であることが分かる。そして、そんな病気が世界中に広がったパンデミックのままエンデミック(ある地域、この場合は地球で日常的に流行)化するのが「最悪」である。パネデミック(今作った言葉、パン・エンデミック)の時代とは、どんなものになるのだろう。
感染症の流行が、ある種の自然災害として、常に隣にある未来の素描をお届けする。
ワクチンや特効薬は本当にできるのか?
警戒レベル・オレンジ
●西暦203X年東京
在宅ワーカー男性(30代)と家族
朝、プッシュ通知で送られてくる予報では、感染予報士がにこやかな笑顔で、「今のところ、関東地方での新たなクラスター発生は観測されていません」と述べた。
「北米での蔓延から、国境閉鎖は続いており、警戒レベル・オレンジは継続中。突発的クラスター対策は、感染ナウキャストにて提供します」と締めの言葉を読み上げて、ポップアップウィンドウから消えた。
おれは、スマホから視線を上げて、家族がいる食卓を見た。
「大丈夫、赤レベルにまではなっていない。きょうは出かけよう!」
「わーい」と子どもたちがはしゃぐ。
家族でリアルなおでかけ、というのは、最大の贅沢であり、それはむしろ感染者が少ない青よりも、オレンジくらいの警戒レベルになってからの方が増える。どのみち、そのうち赤になって黒になって、蝕(しよく)になったら、巣籠もりなのだから、今のうちに楽しめというスイッチが猛烈に入るわけだ。
郊外にある職業体験アミューズメント施設は、前々から子どもたちが行きたいと言っていた。完全予約制の枠が先日、ちょうど家族分空いているのを妻が見つけた。おそらくは、その数日前に首都圏で起きたクラスター発生の巻き添えになり、参加資格を失った家族の枠だろう。気の毒だが、それに便乗させてもらった。
問題はアクセスで、うちからだとスラム化した都心を通らなければならない。しかし、首都高で素通りしてしまえば危険は少ない。カーシェアで予約しておいた消毒済みセダンで、おれたち一家4人は外出する。自動運転車だから、勝手に道を見つけて、無事に到着。
医者は危険で割りに合わない
施設のエントランスでは家族全員の個人端末がスキャンされ、接触履歴、健康履歴が清浄であることを確認。不特定多数が集まる全ての屋内施設で行われることなので、もう慣れっこだ。というか、これをしてもらわないと自分たちも不安だ。
屋内は「密」を感じさせない程度の人数に留められており、快適である。清浄な人たちの適度な賑わいというのは、実に心浮き立つ。6歳の息子がさっそく eSports のプロ選手になるコーナーで遊び始めた。そんなものは家でできるだろうと思うのだが、本物の選手が使う広帯域回線を使ったVRは「テラが違う」からすごい臨場感らしい。自分が子どもの頃は、リアルなサッカーや野球が人気だったが、無観客試合が続くに従ってさびれてしまった。
一方で、9歳の娘は医療職のコーナーで足を止める。「お医者さんか看護師になりたい」と娘は言う。
「やめておきなさい」妻はピシャリと言い切った。「そういうのは、他になれるものがない人の仕事よ」
「そこまで言わなくても」と制止するが、確かに最近、医学部の入試の凋落ぶりは激しい。医師は、危険がつきまとう現場仕事だし、ロボット手術とAI診断が普通になった今、収入面でも割りに合わない。娘は古いドキュメンタリーを見て憧れたようだが、親としては看過できない。すねた娘は「医療資源の最適化シミュレーション」と「VR芸術&エンタテインメント」にエントリーする。
子どもたちが体験をしている間、おれと妻はいずれ人口密度の低い地方で暮らす夢をしばし語り合う。少しすると娘が浮かない顔をしてやってきて、「おばあちゃんたちのECMOはあるの?」と聞いた。職業体験中、逼迫する医療資源を差配しながら心配になったのだろう。
「65歳を過ぎたらECMOは使えないルールだけど、人工呼吸器は保険に入ってるから大丈夫」とおれは請け合う。
気を取り直した娘は、VR芸術の体験に向かい、今度はとても楽しめたようだ。体験を堪能した後、おれたちは帰路につく。
帰りも快適なドライブだったはずが、首都高の一部が、補修工事の関係で封鎖されていた。おかげで、一度、一般道に降りざるを得なくなった。荒廃が激しい特別感染対策地区、通称「汚染区」だから、短時間とはいえ緊張する。
「汚染区」と「自粛警察」
車が選んだ経路は、本来の目的に使われることがなく放置された新国立競技場の近くを通るものだった。木製の部分が朽ちて崩落し痛々しい限りだった。一刻も早くこの陰鬱なエリアを抜け出したいものだが、なぜか車道を歩く人の群れがあり、いつの間にか取り囲まれていた。「歩行者天国」という死語を思い出した。
「ねえねえ、みんなマスクしてないよ」と息子が怯えるのを「しっ」と黙らせる。
「車の中にいれば大丈夫」と言いつつ、おれは車の特別消毒加算を計算しはじめる。必要なコストではあるが、手痛い出費になるだろう。どんどん車道が人で溢れ、車はノロノロとしか進めない。
「困ったな。反実在の連中だ。感染症は実在しないと信じている。いや、天命派かもしれない。すべての感染症は神の意志ですってやつ」
ベビーカーを押した女性が何人もすれ違うのが目に入り、妻が怒りの声をあげた。
「あの人たち、小さい子を危険にさらして! いったい何を考えているんだか!」
怒りはもっともだが、それよりも大切なのはここを脱出することだ。ものすごい密! 圧迫感がすごい。
「あ、警察が来てくれた!」と娘が指差した。
背の高い車両がライトを点滅させながら近づいてくるところだった。おれはほっと一息ついた。
「あれは自ボ、自粛庁の民間協力ボランティアだよ。自粛警察とも言うね。遠隔操縦のロボット車でパトロールしてるんだ」
ロボットから流されるアナウンスが耳に入ってくる。
〈――ただちに距離を取って、密を避けてください。防御のない集会での感染は自己責任となります。繰り返します。密を避けてください〉
〈――濃厚接触コードを確認。自粛庁自己責任局の委託を受けて、迅速検査を実施します。該当者は本車両まで……〉
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source : 文藝春秋 2020年7月号