プーチンのロシアの原点はナチス・ドイツとの死闘にあるとガルージン大使は語る。独ソ戦、プーチン大統領と憲法改正、平和条約、北方領土の返還……池上さんがロシア大使に様々な疑問をぶつけてみた。
高度経済成長期の日本が好き
池上 今年は、独ソ戦終結から75年の節目に当たります。ロシアの戦勝記念日の5月9日には、欧米や日本の首脳を招いた式典が首都モスクワで準備され、今年、就任20年を迎えるプーチン大統領にとって、威信を示す絶好の機会になるはずでした。
ガルージン 残念ながら新型コロナの影響で式典は延期となりましたが、6月24日に、クレムリンの壁の前にある無名戦士の墓の記念碑にプーチン大統領が献花し、主要な軍事パレードが催されました。なぜ6月24日かというと、1945年6月24日に、凱旋パレードが行われたからです。実際に戦場で戦った将軍や兵士たちが赤の広場を行進し、ドイツ軍の軍旗をレーニン廟の前に落としました。
池上 今日は、東京のロシア大使館にうかがっていますが、部屋の雰囲気が日本とは違って、やはりロシアに来たような感じがしますね。
大使は、ゴルバチョフ元ソ連大統領やエリツィン元大統領の通訳を務め、日本勤務も4回目の知日派です。それにしても、どうして日本語を学ぼうと思われたのですか?
ガルージン 実は、私の父も日本語ができる外交官でした。1966年に、親父は私の母と私を連れて在京ソ連大使館に参りました。私が初めて見た外国は日本なのです。ですから、私は父親に倣って自分も日本語を学び、日本に関係する仕事をしたいと思いました。
池上 ちょうど日本の高度経済成長期ですね。当時の東京の印象はどうでしたか。
ガルージン 大都会でした。モスクワに比べて人がとても多かったです。今、暇なときに何をするのが一番好きかというと、60年代、70年代の日本の映像を見ること。5歳から10歳までに見た日本の姿が懐かしいですね。
池上氏(左)とガルージン氏
独ソ戦への高まる関心
池上 先日、大使が執筆した「大祖国戦争勝利の歴史的意義」という文書を拝見しました。この中で大使は、「この出来事の意義と結果を認識することなく、今日のロシアという国およびその国民を完全に理解することはできない」と記しています。
今年、『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(大木毅著、岩波新書)という本が新書大賞に選ばれたのですが、お読みになりましたか?
ガルージン その本はまだ読んでいません。池上さんから事前にいただいた質問書を拝見して、初めて知りました。
池上 地味な本ですが、12万部のベストセラーになりました。意外や意外、日本の国内で独ソ戦のことを知りたいという人が実は大勢いたんですよね。
ガルージン 私も昨年、それを感じました。何回かテレビのニュース番組の生中継にお招きいただいて、独ソ戦争についてこちらの考え方を説明する機会があったのです。
1941年6月、ナチス・ドイツと同盟国軍は、独ソ不可侵条約を破りソ連に侵攻、独ソ戦の火蓋が切られた。1945年5月のソ連の勝利まで、戦いはおよそ4年間続いた。
戦争初期、ドイツ軍は装甲・自動車化歩兵師団と空軍が共同で攻撃する作戦を展開し、ソ連領西部を一気に制圧した。通称「電撃戦」は、当時としては優れた戦法で、独ソ戦の前年には、オランダ、ベルギー、フランスを6週間で占領するなど成果を挙げていた。この電撃戦により、ソ連軍はモスクワ近郊まで追い詰められた。
池上 独ソ戦は、ロシアでは「大祖国戦争」と呼ばれています。当時、共産党書記長だったスターリンは、ナポレオンの侵略をしりぞけた、19世紀の「祖国戦争」になぞらえ、ファシストの侵略からロシアの国土を守るという意義付けをして国民を鼓舞したわけです。
第2次世界大戦というと、日本では、米英軍とナチス・ドイツが戦った印象が強いと思います。映画「史上最大の作戦」やテレビドラマの影響もあるでしょう。ところが米英軍が戦ったのは、ソ連に深く攻め込み、スターリングラード(現・ボルゴグラード)など東部戦線でボロボロになった後のドイツ軍であったことは、日本ではあまり知られていません。
ガルージン ソ連が被った惨禍を示す数字はいくつもあります。例えば、独ソ戦の勝利を収めるために、2700万人のロシア人が命を捧げました。その中で、1900万人は文民です(日本の戦死者は軍民合わせて推計約310万人)。また、第2次世界大戦において、時間的、地理的に独ソ戦線が最も大規模でした。軍事作戦の75%、ナチス・ドイツ軍が持っていた戦車の5分の4、軍用機の3分の2が米英との戦いではなく、独ソ戦で使われました。さらに、ソ連では1700の都市と町、7万もの村が破壊されています。私が学校で学んだ教科書には、国民財産の3分の1が失われたとありました。
死者は推計2700万人(タス=共同)
ミュンヘン“陰謀”
池上 しかし、スターリンのナチスに対する認識の甘さが被害を拡大させたという指摘もあります。ドイツ軍の攻撃が迫っていると各国のスパイから情報が入っていたのに、彼はまともに受け止めませんでした。
ガルージン 客観的な事実、またロシアに保存された文書からすると、その認識は誤りだと思います。
まず、第2次世界大戦が勃発した経緯からご説明しましょう。1933年1月、ドイツでヒトラーが権力を奪い取ります。ナチスは政権党になる前から、ユダヤ人だけでなくスラヴ民族を「劣等人種」と位置づけ、ソ連領内にドイツ人の生活圏を作ろうと計画していました。
池上 東部総合計画(ゲネラルプラン・オスト)ですね。ソ連西部に住む数千万もの住民をシベリアに移住させ、その跡地にドイツ人を入植させる計画でした。
ガルージン 危険を察知したスターリンは、英仏、ポーランド、チェコスロバキアなどに集団安全保障体制を提案しましたが、反応は消極的でした。他方、英仏はドイツに対してソ連の領土の手前まで前進するよう協力していたのです。最初にナチス・ドイツと不可侵条約を結んだのはどの国だと思いますか?
それはポーランドです。今、一番厳しくロシアを批判している国です。ポーランドは、ナチス・ドイツと手を結んでいたのです。ヒトラーへの宥和政策として有名なミュンヘン会談が行われたのは、独ソ戦が始まる3年前のことでした。
この会談を「宥和」と呼ぶのは西側の見方であって、我々は「ミュンヘン陰謀」と呼んでいます。それは、そもそもソ連が招かれず、ドイツ、イタリア、英仏のみが参加し、チェコスロバキアのズデーテン地方の併合を認めたからです。英仏は、チェコスロバキアを裏切り、ヒトラーに提供したのです。
池上 プーチン大統領は、今年6月、アメリカの雑誌「ナショナル・インタレスト」に「第2次大戦75周年の本当の教訓」という論文を寄稿し、その中で、ミュンヘン会談について、西側諸国は、「ドイツが東方に照準を合わせるように仕向け、ドイツとソ連が互いに徹底的に打ちのめすのを不可避にしようと努めたのだ」と書いています。
ガルージン スターリンが1939年8月に独ソ不可侵条約を結んだのは、英仏とポーランドがヒトラーに対して集団安全保障体制を作る気がないと判断したからでした。要するにスターリンは、ナチス・ドイツがいずれソ連を攻撃すると認識していたのです。
ソ連の敵はドイツだけではない
池上 つまり、スターリンがナチスの脅威を感じていなかったとするなら、西欧諸国も同じようにその脅威を見通すことができなかったと、大使はおっしゃりたいのですか?
ガルージン いえ、西欧諸国はむしろ、ナチス・ドイツのソ連攻撃に有利な状況づくりに協力したと言いたいのです。
池上 プーチン大統領は「多くの国々は、様々な協定にナチと西側の政治家の署名が並んでいることは、思い出したくもないようだ」と痛烈に批判していますね。
ガルージン そう、皆さんはとても大事なことを忘れていらっしゃる。「独ソ戦」の「ソ」という字は確かに正しいです。しかし、ソ連が戦ったのは「独」だけでなく「欧州」でした。ヒトラーと一緒に、イタリア、スペイン、ハンガリー、ルーマニアなどの欧州諸国がソ連に侵攻したのです。
池上 フィンランドもですね。
ガルージン そうです。そして、ソ連との戦争でナチス・ドイツ軍が使った戦車の3分の1は、どこで生産されたか、ご存じですか? チェコスロバキアです。ですから実際の敵は、ドイツ一国より大きかった。ナチス・ドイツが操った数カ国の軍事、経済、人的ポテンシャルに抵抗せざるを得なかったのです。
池上 不可侵条約は2年後に破られ、戦争が始まります。開戦当初は、ソ連の敗北が続きました。
ガルージン 残念ながら、ドイツ軍が極めて強かったのです。そしてソ連は対独戦争に対してまだ準備段階でした。ですから、独ソ戦の初期、1941年6月から12月までは、最も苦しい半年でした。モスクワの一歩手前までドイツ軍が迫ってきたのです。
スターリンの大粛清
池上 独ソ戦の少し前、1937年から、スターリンの大粛清が始まっていました。赤軍幹部に対する粛清が軍を弱体化させていたという指摘もあります。
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source : 文藝春秋 2020年9月号