アルツハイマー「新薬」の未来

東大教授解説

岩坪 威 東京大学教授、国立精神・神経医療研究センター理事
ニュース 医療
反対意見が続出するなか米国で承認。その効果は?
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岩坪氏

アルツハイマー病を「希望の持てる病気」に

 アルツハイマー病の新薬「アデュカヌマブ」が6月、米食品医薬品局(FDA)に承認された。米バイオ医薬品会社バイオジェンと日本の製薬会社エーザイの共同開発で、病気の原因物質に働きかけ、進行抑制を期待できる世界で初めての薬だ。

 両社の株価が上がるなど歓迎ムードがある一方で、治験のデータが十分でなかったことから、批判や抗議の声も上がっている。日本でも審査中のこの薬は一体どんなものなのだろうか。

 アデュカヌマブの承認が発表されたのは、FDAの審査の期限日でした。日本時間では未明でしたが、起き出してインターネットで検索すると、条件付きで承認という速報が飛び込んできました。

「通ったんだ!」と興奮してしばらく寝付けませんでした。

 詳しくは後述しますが、この薬の治験はキズだらけで、データが完全でないという弱みは誰もが認めざるを得ないところです。しかしFDAは、治療薬のない重篤な疾患に対して適用される「迅速承認」という手続きで、市販後に追加試験を課すという条件付きで承認したのです。米国には600万人以上のアルツハイマー病患者がいて、社会負担が重く、国を滅ぼしかねない病と認識されている。米国はこの薬をさきがけに、有効な治療法のなかったアルツハイマー病を「希望の持てる病気」に転換していくことを国家戦略として選択したのだと思います。

 この薬は、アルツハイマー病の進行そのものに働きかけることができる、初めての「疾患修飾薬」です。

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薬で闘う時代が始まる

認知機能低下を22%抑制

 アルツハイマー病は、「アミロイドβ」というタンパク質が引き金となって発症します。

 アミロイドβは認知症の症状が出る15~20年前から脳内にたまりはじめ、神経細胞の外で、アルツハイマー病に特有の老人斑というシミになります。それが進むと、神経細胞の中に、糸くずのようなものが出てきます。これは「タウ」というタンパク質からできており、それが原因となって神経細胞が死んでしまい、認知症の症状が現れるのです。

 今までアルツハイマー病の薬といえば、エーザイの「アリセプト」に代表されるような、神経機能を補う薬しかありませんでした。投与開始早期には多少の改善が見られるのですが、神経細胞が死んでいくのを止めることはできないので、やがて治療しなかったのと同じスピードで進行していきます。つまり、進行を一時的に遅らせるだけという効き方です。

 それに対してアデュカヌマブは、「アミロイドβ」を脳内から取り除くことで、進行に抑制をかけます。

 認知症の前段階である軽度認知障害(MCI)から軽症認知症の時期のアルツハイマー病の人に対し、アデュカヌマブを月に1回点滴投与すると、アミロイドβが除去されます。それにより進行に一定のブレーキをかけ、認知機能低下のスピードを緩やかにすることが期待できるのです。

 有効性は、成功した一つの治験で次のようなデータが出ました。

 記憶や言語などの認知機能を見る指標では、高投与量群はプラセボ(偽薬)群と比べ、1年半で22%の進行抑制効果が達成されました。

 また、家事や道具の使用など日常生活動作を見る指標では、高投与量群はプラセボ群と比べ、40%の進行抑制効果が達成されました。

 加えて、サンプル数は少ないですが、その治験の中の一部の患者さんから得られた結果にも注目すべきデータがあります。高投与量群の脳脊髄液やPET画像を調べると、神経細胞が死ぬ原因に直結するタウも減っていたのです。

 実は10年ほど前に、アミロイドβを抑えながらも有効性が認められなかった薬の治験の失敗例があるのですが、この時は対象者の症状がより重く、薬の投与量も十分でなかったとみられています。その点、アデュカヌマブはアミロイドβに加え、認知症の症状により直接的に関連するタウへの作用も確認されたことには意味があります。FDAもこの点をかなり重視したようです。

 安全性はどうかというと、脳の局所的な浮腫(むくみ:アリア-Eと呼ばれます)が被験者全体の35%に出たと報道で取り上げられたので、不安を覚えた人もいるかもしれません。そのうち3分の1は無症状ですが、3分の2の人は頭痛や吐き気、軽い意識障害といった症状を伴っていました。

 アリア-Eが出るのは、アミロイドβが除去されはじめると、アミロイドβで固まっていた血管壁が一時的にむき出しになり、血漿成分が漏れ出るからだろうと考えられています。そのため、この副作用は治療開始から1年以内に多く、その後は自然と治まっていくようです。無症状や軽症なら継続投与していても悪化することはありません。比較的重い症状でも、中止して経過観察するか、ステロイド剤の投与で対処が可能です。要は、軽視できるものではありませんが、管理できる範囲内の副反応とみることができそうです。

老人斑
 
アミロイドβによる老人斑

新薬開発の道は死屍累々

 この薬の登場は、アルツハイマー病との長い闘いの歴史の中で画期的なターニングポイントになる可能性があると僕はみています。

 アルツハイマー博士が学会でこの病気のことを発表してから、今年で115年。その歴史をざっと年代別に追ってみると、1970年代までは物質レベルでの研究は進まず、そのメカニズムはほとんど未解明といっていい状況でした。80年代になって、アミロイドβやタウの存在が突き止められ、90年代になってようやくアリセプトなどの対症療法薬が登場しました。

 そして2000年代に入ったあたりから、今回のアデュカヌマブにつながるような根本治療薬の開発が視野に入ってきました。その効果を測るための、診断方法などの関連研究も進みます。

 そして2010年代に入って進歩に加速度がつき、治験の最終段階まで回り始めました。とはいえ、失敗に終わることも非常に多かった。

 米国研究製薬工業協会によると、2017年までの20年間で、146もの新薬候補が治験まで進みながら開発中止となっています。ロシュやファイザーなど大手製薬企業が巨額を投じても失敗が続きました。アルツハイマー病の新薬開発の道は死屍累々なのです。

 なぜこの薬が成功できたか。それは先行した失敗例から数多くの教訓を得ることができたからです。

 アデュカヌマブは承認から9日後には、医薬としての初めての投与が行われたと報じられました。今年はアルツハイマー病の115年の歴史の中でも、エポックメイキングな年だと言えるでしょう。

「製薬企業の肩を持つのか」

 しかし、約3300人が参加したこの薬の治験では、2つの治験のうち一方しか治療上の目標に達しませんでした。そのことで「矛盾する2つのデータがありながら承認するのはおかしい」という批判が噴出しています。

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source : 文藝春秋 2021年8月号

genre : ニュース 医療