今なお多くの作り手に影響を与え続ける“漫画の神様”手塚治虫(1928~1989)。手塚になぞらえ“少女漫画の神様”と呼ばれる萩尾望都氏が見るその凄さとは——。
萩尾氏
漫画家になって数年目、ある出版社のパーティでだったと思う。手塚治虫先生に「萩尾さん、どんどん描きなさい」と声をかけていただいた。新人の作品もよく読んでいらしたのである。「はい。でも私、話を作るのが遅いんです」と答えると「え? どうして?」とあっさりと言われた。
そうか! 手塚治虫先生は話を作るのが早いのか!
手塚治虫は膨大な量の作品を描いている。月刊誌に「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」、新聞連載、少年週刊誌に「0マン」や「どろろ」、大人週刊誌に「上を下へのジレッタ」、それから「地球を呑む」「グリンゴ」などなど。幼児向け「らびちゃん」あり「ブラック・ジャック」の1話完結のシリーズものあり。毎月の生産ページがひと頃は500枚あったという。
私の場合は32ページの作品で物語とネーム作り(画面にある程度コマ割りをしたものをいう)に5日から10日はかかる。絵に10日はかかる。描き終わると3日は疲労で伸びるので月に1本、無理に描いて精々2本だ。
ううむ! 手塚先生! なぜそんなに途切れることなくストーリーが湧き出てくるのか? しかも、何年も。
そう、手塚治虫は紛れもなく稀有なストーリーテラーなのだ。スティーヴン・キングやアイザック・アシモフのように。アイデアと設定、舞台の切り口、敵や味方、キャラの配置。短編、中編、どれもいい。特に長編は見事。勧善懲悪の設定はあまりなく、相反する2つの価値観の相剋という複雑な物語が多い。「アドルフに告ぐ」「シュマリ」「陽だまりの樹」など。手塚治虫の脳には次々とアイデアが浮かび、妄想系はフル稼働だろう。この幸福な拡散の後、物語は集結を迎える。実は物語は最後の着地が難しい。
手塚治虫
四散した枝枝をまとめテーマをギューッと結びあげる。しめ縄を締め上げるように形よく。これがかなりの力業でエネルギーを使う。私も、毎回それで苦労する。拡散と収縮。手塚治虫は毎回見事に着地する。金メダルをとった内村航平のように美しく。「キャプテンKen」「新選組」「ノーマン」どれも美しいラストシーンだ。
ストーリーもすごいが、手塚治虫は漫画表現でも革新的なことをやっている。それは、画面に音楽を持ち込んだことだと思う。
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source : 文藝春秋 2022年1月号