神田沙也加「瞳のかがやき」

宮本 亞門 演出家
エンタメ 社会 芸能
17歳の彼女は「本物になりたい」と。
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宮本さん

「いくらでも伸びるな」

 初めて会ったとき、沙也加さんがあの大スターの娘さんだとは全く知りませんでした。

 2004年に私が演出を務めたミュージカル「イントゥ・ザ・ウッズ(INTO THE WOODS)」のオーディション。

「よろしくお願いします!」

 元気に挨拶をしながら部屋に入ってきた彼女は、いきいきとしていました。何より印象的だったのは彼女の瞳。本当にキラキラ輝いていた。それと同時に、こちらに食らいついてくるような、「このオーディションが、自分にとって最後のチャンスだ」と言わんばかりの気迫に満ち溢れていました。

 オーディションでは偏見をもちたくないので、履歴書には事前に目を通さないようにしています。本人が部屋に入ってくる前に、名前をちらっと見るだけ。同席するプロデューサーにも「情報を入れないで」と断っているので、何も伝えてきません。

 この時は、主役の一人である赤ずきん役を募集していたのですが、僕としては若い俳優に演じてほしかった。ただ「この役を演じられる役者はいるの?」と思うほど、歌も演技も非常に難しい役で、丸一日かけて丁寧にオーディションしました。ピアノが置いてある部屋に一人ずつ来てもらって、歌とセリフを披露してもらったのです。

 彼女の歌は、とにかく素晴らしかった! 赤ずきんがオオカミに食われて胃袋の中をずっと通っていく、その心情を表した不思議な歌です。オーディションの最中に少しだけ演出をつけたのですが、沙也加さんはジーッと聞いて、すぐに自分の歌に取り込んでいった。短い時間で、彼女がどんどん変わっていくのを感じました。さらに、赤ずきんの物語を自分なりにイメージする想像力と、豊かな感受性も持っていました。

 正直言えば、声はやや震えていたし、発声も弱かった。だけど、「良い声」だと感じたのです。どこまでも伸びていくような、明確に通る声を持っていた。「ちゃんとした練習さえ積めば、いくらでも伸びるな」と確信しました。

「この子はすごいよ!」

 沙也加さんが部屋を出た後、そう口にしたことをよく覚えています。

神田沙也加
 
神田沙也加さん

足の捻挫を隠していた

 昨年12月18日、俳優・歌手の神田沙也加さんが、主演ミュージカルの公演先である北海道・札幌市内で急逝した。まだ35歳、早すぎる死だった。

 神田さんは1986年、東京生まれ。母は歌手の松田聖子、父は俳優の神田正輝という大スターの両親のもとで育った。2001年に「SAYAKA」の名前で芸能活動を開始。当時の想いを、神田さんが本誌に綴っている。

〈私は今、かつて母がやっていたグリコのCMをやらせていただいている。CMデビューが決まって、嬉しくて嬉しくて、もらった絵コンテを毎日眺めていた(←笑)。サイパン行きの飛行機に、母と一緒ではなく、初めて自分の“仕事”のために乗った。ホテルにチェックインする時、思い切って名前の欄に“SAYAKA”と書いてみた。まだぎこちないその文字が、CMデビューとともに名前になっていくんだなぁと実感した〉(『文藝春秋』2001年10月号)

 02年には歌手デビュー、03年には女優デビューと、活躍の場を広げ、14年には大ヒット映画「アナと雪の女王」で主人公・アナの声を務めた。

 近年はミュージカルを中心に活躍したが、その扉を開いたのが演出家・宮本亞門氏(64)だった。自身が演出を手掛けたミュージカル「イントゥ・ザ・ウッズ」に、当時17歳だった神田さんを主役として抜擢した。
映画「アナと雪の女王」のパレード
 
映画「アナと雪の女王」のパレード

 夕方、オーディションが終了し、関係者が集まりました。参加者の顔写真を並べて、プロデューサーが僕に、どの子に興味をもったか聞いてきた。僕が真っ先に指さしたのが、沙也加さんの写真でした。大変な才能の持ち主だということは、すぐに分かりましたからね。

「この人はすごかったです。彼女は何者? これまでどんな舞台に立ってるんですか?」

 畳みかけるようにプロデューサーを質問攻めにしました。

「実は……」

「ええっ、本当に!?」

 そこで初めてご両親についての説明がありました。さぞかし演技の訓練も積まれているだろうと思いましたが、実はそうでもなかったし、ミュージカルも未経験でした。

 数ヶ月後、稽古初日の最初の台本読み合わせで、沙也加さんは突然連れ去られてきた女の子みたいに怯えていました。台本を読む声も震え、緊張がこちらにまで伝わってくるくらい。「もっと大きな声を出して!」と言うと、「はい!」と元気に返事はしてくれるんですが。でも、それから稽古を重ねていくうちに、日々、驚くほど成長していきました。遠慮せず、全身をつかった勢いのある声も出るようになった。

 オーディションで感じたように、飲み込みも早い。僕が「こんな風にしたら」「あんな風にしたら」と提案をすると、瞬時にそれを取り込み変貌していく。翌日には、歌や演技がさらに磨き上げられているのです。自主練習を相当量、積んでいるのは明らかでした。どんどん進化する沙也加さんを目の当たりにして、演出家冥利に尽きる日々でした。

 厳しい稽古が続きましたが、彼女は弱音を一つも吐きませんでした。

 後で知って驚いたのは、稽古中にひどい捻挫をしていたこと。氷水を入れたバケツに足を入れて冷やさないと、歩けないほどの痛みだったようです。顔や態度に微塵も出さなかったので全く気づかなかった。NHKのドキュメンタリー番組が現場に密着していて、放送された番組でそのことを知りました。すぐに本人に電話し、「なんで言わなかったの!」と叱りましたよ。

舞台上での存在感

 沙也加さんが本領を発揮したのは、通し稽古で実際に舞台に立った時です。彼女が舞台に立った瞬間、その才能が眩しいほどだった。ベテランしか出演しない大舞台で、たった一人で歌い演技するのは、初舞台なら誰でも緊張するもの。でも彼女は空間を全て自分のものにしていた。見ている全員が、彼女の一挙一動に吸い込まれていくんです。実は、衣装やメイクを整えて舞台に立っても、光らない役者はけっこういる。舞台の上では裸一貫、誰も助けてくれません。まさに役者の正念場です。そういう意味でも、彼女の存在感はずば抜けていました。

 また歌を歌として歌わず、まるで語っているように、意味を全て読み解いて歌う。見事、赤ずきんになりきっていて、演出している僕も拍手喝采したくなったほどです。

 でも、公演の本番前になると、ひどく緊張するタイプでした。開演前は「どうしよう、どうしよう……」とバタバタする。こっちの楽屋にいたかと思えば、あっちの楽屋に行って騒いでいる。それが、いざ舞台に立ってしまえば、役に入り込む集中力は素晴らしく、本番には滅法強い。「これこそ女優だな」と思い知らされました。

「母親とは違う世界で」

 神田さんが歌の世界を志したのは、母・松田聖子の影響が大きかった。

〈松田聖子の娘として生まれて、母がコンサートとかをやっているのを見たら、同じ仕事をやってみたいと思わないほうが、正直に言って難しい。応援してくれる人がいっぱいいて素敵な所に見えるから、すごく自然に芸能界に憧れる気持ちがあった〉(前掲、本誌記事)

 だが一方で、デビュー後は「松田聖子の娘」という肩書がついて回ることとなった。
松田聖子
 
松田聖子さん

「本物になりたい」

 ミュージカルの稽古中に、そんな言葉を彼女から聞いたことがあります。稽古が進み、沙也加さんとも心を許し合える関係性が築けてきた頃のことです。休憩時間に、彼女が僕の隣にフッと姿を現し、こんな質問をしてきました。

「亞門さん、正直に教えてください。私の両親が有名人だったから、この役に選んでくれたんじゃないですか?」

 それを聞いて、ハッとしましたね。実力で選ばれたと思っていないと。「違うよ、君が一番素晴らしかったんだよ」とすぐに返しましたが、それでも疑っている顔をして、なかなか信じてくれなかった。

「確かに世の中にはそういう例も存在するだろうけど、今回は違う。オーディションの中では、本当に君が一番良かった。お願いだから信じて」

 そう言うと、沙也加さんはやっと微笑んで、

「私、本物になりたいんです。お母さんとは違う道を、神田沙也加という一人の人間が本気で生きていく姿を、皆に見て欲しいんです」

 と口にしました。

 沙也加さんはお母さんの松田聖子さんのことを、ものすごく尊敬していました。芸能界での仕事を幼い頃から間近で見てきて、大変な職業だということも分かっている。しかも、松田聖子さんは、歌の世界でトップを極めた人。その世界に足を踏み入れた以上、本気でやらなきゃいけないと決意していたのでしょう。

「松田聖子の娘」ではなく、「神田沙也加」として、多くの人に認められたい——。芸能界に入ってもがき続けるなかで、彼女はミュージカルと出会ったのではないでしょうか。

「母親とは違う世界で生きていきたい。母親とは違う人間、神田沙也加として生きていく世界はミュージカルしかないと思っている」

 と、私に打ち明けたこともありました。

初日公演に松田聖子さんが

 ミュージカルの初日公演に、松田聖子さんは駆けつけてくれました。直前まで聖子さんの予定が確定しなかったようで、「来てくれるといいんですけどね……」と、沙也加さんもそわそわしていた。公演の数日前かな、彼女が嬉しそうにやって来ました。「お母さんが来る! 決まりました! やったー!」って。

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source : 文藝春秋 2022年2月号

genre : エンタメ 社会 芸能