1972年2月(21日~28日)のニクソン米大統領の訪中から50年が経った。米国はこの訪問で中国と関係正常化を果たし、中ソの関係にくさびを打ち込み、ベトナム戦争の泥沼から脱出する足掛かりを築いた。ニクソン・キッシンジャーの離れ業外交だった。
あの中国フィーバーから半世紀後、オミクロン株の蔓延とウクライナ危機の中、50周年を華々しく祝うムードは少なくとも米国にはない。それどころか、米国の中には今のような攻撃的で居丈高な中国を生みだしたのは米国の対中関与政策の過ちであり、それはあのニクソン訪中の狂騒曲から始まったといった批判も聞かれる。
リーマンショック後の2010年代は、米国の対中関与派にとって“裏切られた10年”だった。「国進民退」と「軍民融合」、「一帯一路」と勢力圏の拡大、領土・領海の一方的主張と攻勢、サイバー攻撃・窃取と知財権の侵犯、市場とサプライ・チェーンの武器化と経済的威圧、政治工作と戦狼外交、そして中ロ協商の台頭……。
どこで、歯車がかみ合わなくなったのか。関与政策は間違いだったのか? 50年前の訪中からそもそも間違ったのか? 米国が中国に無知だったからなのか? いや、中国に謀られたのか? そうだとしたら、誰が誰を騙したのか?
バイデン政権NSCのカート・キャンベルインド太平洋調整官は政権入りする前の論文で「関与政策は間違いだった」と言い切った。同じく同政権のラッシュ・ドーシNSC中国部長は、やはり政権入りする前に出版した本で、リーマンショック後、中国は米国に世界の盟主からの“退場”カードを突き付けるようになったと論じている。いや、当のニクソン自身、晩年「我々はフランケンシュタインをつくってしまったのかもしれない」と悔やんだという。
それでは、誰が、誰を騙したのか?
米国では、中国と癒着してきたウォールストリートがやり玉に挙げられている。中国企業を上場させ、莫大な手数料を稼ぎ、中国人億万長者を増産し、米国のメインストリート(製造業)を疲弊させたというのである。
しかし、いま、やり玉に挙がっているのは、ニクソンの大統領補佐官(安全保障担当)として訪中外交をお膳立てしたヘンリー・キッシンジャーである。この半世紀、キッシンジャーはハーメルンの笛吹き男のように歴代の米大統領を対中宥和の天の川へと導いてきた。
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source : 文藝春秋 2022年4月号