ウクライナ侵攻は彼の個人的な怨念から始まった。
ホドルコフスキー氏
プーチン体制打倒とロシア再建への思い
ロシア大統領ウラジーミル・プーチンが、最大の「政敵」とみなした人物がいる。「石油王」と呼ばれたロシア石油大手ユーコス元社長、ミハイル・ホドルコフスキー(58)だ。
ホドルコフスキーはソ連崩壊後、ボリス・エリツィン時代の民営化で国有資産を買収し、1990年代に30代の若さでユーコスを設立した。同社はロシアの石油生産の2割を占め、彼は新興財閥「オリガルヒ」の筆頭格に台頭し、政財界での影響力を強めた。
だが、アメリカ石油大手との提携など野心的な事業を計画する中で、次第にプーチンと対立するようになる。2003年、プーチンは欧米の非難を浴びながらもホドルコフスキーを脱税容疑などで逮捕。彼はシベリアで10年の獄中生活を送り、ユーコスは解体された。
この事件を機にプーチンは周囲を自らに忠誠を誓うKGB(ソ連国家保安委員会)出身者らで固め、反体制派弾圧やメディア統制を徹底。欧米への敵対姿勢を強めた。
一方、ホドルコフスキーは13年に恩赦を受け、イギリスに事実上亡命。「プーチン後」を見据え、ロシアの市民社会を支援する「オープンロシア」を立ち上げ、反プーチン運動を展開してきた。ユーコスの事件から約20年たった現在も、プーチン体制打倒への執念は衰えていない。そんな中、今回のウクライナ侵攻後、初めて日本メディアのインタビューに応じた。
何がプーチンを戦争に向かわせたのか、どんな結末を迎えるのか、そしてロシアはどうなるのか――ホドルコフスキーは自身のプーチンとの確執を振り返りながら、ウクライナ支援の継続とプーチン体制の打倒を訴え、ロシア再建への思いを語った。
プーチン大統領
「レガシーづくり」に取りつかれた男
プーチンが狂気の沙汰ともいえるウクライナ侵攻に突き進んだのには、いくつかの理由がある。
まず、プーチンの統治の特徴は、「大国復興」という帝国主義の幻想によってロシア市民をつなぎとめてきたことにある。対外武力行使に訴えるのは、プーチン体制の核心といっていい。1999年の首相就任後すぐにチェチェン戦争を仕掛けて国民の支持を獲得し、エリツィンの後継者として翌年の大統領選での勝利につなげた。2008年のジョージア侵攻や2014年のクリミア半島併合でも求心力を高めている。そして今回、コロナ危機の打撃を受けたあとにウクライナへの侵攻に踏み切った。
次に、コロナ禍の中でプーチンが人と会うことを避け、2年にわたりごく限られた人としか交流しなかったことも影響しているだろう。プーチンが最も多くの時間を一緒に過ごしたのはユーリー・コバルチュクだ(注・ロシア銀行の筆頭株主で「プーチンの個人バンカー」とも呼ばれるほど親密な関係にある人物)。コバルチュクは帝国主義の熱心な信奉者であり、プーチンはそうした考えにより傾倒していった。
さらに、ロシア情報機関の幹部やウクライナの協力者たちが、ウクライナ情勢について、プーチンに誤った情報を上げていたこともある。連邦保安庁(FSB)幹部セルゲイ・ベセダや、プーチンが娘の代父であるウクライナの親ロ派政治家ビクトル・メドベチュクらだ。「ゼレンスキー政権はロシア侵攻に組織的に抵抗する能力はなく、すぐに崩壊する」「多くのウクライナ人はロシア軍を歓迎するだろう」といった見方がプーチンに吹き込まれていた。
そして何よりも大きいのは、プーチンがレガシーづくりにとらわれていることだ。プーチンは今年70歳になる。20年以上も権力に君臨し、先が短いことを悟ったいま、彼は偉大な指導者として歴史に名を刻もうとしているのだ。ウクライナに誕生した東スラブ民族の最初の国家、キーウ公国で東方正教を国教化した伝説的な大公ウラジーミル(ウクライナ名はボロディムィル)と肩を並べる存在になりたがっているのだろう。プーチンが2016年にクレムリンのそばに大公の像を建造していることからもそれがうかがえる。
クレムリンのそばに建造された大公ウラジミールの像
異なる顔を使い分ける
プーチンの精神状態の変化を疑う見方もある。だが、独裁者としてのプーチンの本質はずっと変わっていない。KGBのエージェントだったプーチンは、異なる顔を使い分けることを叩き込まれてきた。その場その場、相手や時代に応じて、いくつものマスクをかぶってきたにすぎない。
2000年に大統領に就任した当初、プーチンは民主的な指導者であるかのように振る舞っていた。ロシアは民主国家であると強調し、市民社会を重視しているかのように見せて、欧米に接近しようとしていた。
私も当初、同じ価値観を持った同世代の人物として、プーチンを評価していた。エリツィンよりも理想的な大統領とすら思ったほどだ。エリツィンは民主主義の真の信奉者ではあったが、ソ連で育ってきた世代で、世代間ギャップを感じるところもあったからだ。
だが、プーチンは大統領に就任して間もなく起きた原子力潜水艦「クルスク」の沈没事故(2000年8月、乗組員118人全員が死亡)への対応で、その正体を垣間見せた。亡くなった乗組員の夫人らと面会した後に、プーチンは「奴らは売春婦だ」などと口汚く罵ったのだ。私は驚いたが、当時はまだ大統領としての経験不足からくる単なる過ちだろうと見過ごしていた。
報道の自由の旗手と目されていた民放テレビ局NTVのオーナーが横領罪などで逮捕され、株式を譲渡させられた事件もあった。その時も私は、これは組織的な言論の自由への弾圧ではなく、あくまで例外的な措置だと思っていた。
ある時、プーチンが私を含むオリガルヒ全員を集めて開いた会議で、「傘下の企業を政府への圧力に使うな」と言ってきた。この時、我々はみなこの要請に応じた。エリツィン時代、大企業の経営者が従業員のストライキなどを使って政府を動かそうとしてきたことは事実だ。しかし、私はユーコスを利用したことは1度もない。
その会議のあと、2003年にプーチンは私を個別に呼び出し、「特定の政党を支持するな」と要求した。私はユーコスの資金を使って政党を支援しないと約束した。しかし、ユーコスの従業員や株主が自己資金で政党を支持するのを止めることはできないとも伝えた。私は企業経営について決めることはできても、従業員や株主の政治的な指向まで統制することはできないと考えていたからだ。
プーチンはその時、黙っていた。だが後に彼の側近から、「大統領はひどく怒っている」と聞かされた。プーチンは、私が彼に挑戦しようとしているのだと決めつけたのだ。その時初めて、私とプーチンは市民の権利について根本的に考え方が異なっているのだと気づいた。
2003年にプーチンと協議した時は、彼の側近たちの間で犯罪が横行していることを指摘し、汚職と賄賂はもうたくさんだと私は訴えた。透明性を確保しようと促すつもりだった。ところがプーチンは一切耳を貸そうとしなかった。私はこの時、プーチンが汚職を政治の道具として使い、国を支配しようとしているのだと悟った。
2001年、プーチン大統領と蜜月時代
すべては「個人的な怨恨」からはじまった
プーチンの本性を認識したその時からもう20年近く、私は戦っていることになる。
私は権力を求めたことはないし、政治家になる気も一切なかった。それでも国の発展には寄与したかった。私は自分をよき企業経営者だと考えていたし、国の経済運営に貢献できると思った。その気持ちはいまも変わっていない。
私は脱税容疑などをかけられ、2003年には確実に投獄されると分かっていたが、もし国外に逃れれば、罪を認めることになる。そう考え、私はロシアにとどまる決意をした。その結果、私は懲役10年という高い代償を払った。
2020年に毒殺未遂に遭ったあと、治療先のドイツからロシアに帰国して投獄された反体制指導者アレクセイ・ナワリニーも、政治的な賭けに出た。反プーチン指導者として地位を高めた半面、もしかしたら彼は命を落とすことになるかもしれない。我々は似たようなことをしたわけだ。
私に対するプーチンの攻撃は、非常に個人的な怨念のようなものだったと思う。私は「国営石油会社ロスネフチなどを通じて、政府から巨額の資金を盗んでいる」とプーチンを糾弾した。彼はそれを根に持ったのかもしれない。
ウクライナ支配に取りつかれたようなプーチンの執念にも、おそらく個人的な怨念が絡んでいる。2014年、ウクライナでマイダン革命(市民運動)が起き、親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ政権が崩壊したが、これはアメリカが背後で仕掛けたものであり、自分に対する攻撃だったとプーチンは思いこんでいるからだ。
「外敵」を作って戦争することが力の源泉
今回のウクライナ侵攻後、プーチンはロシアの反体制派弾圧やメディア統制をさらに強めている。これを「ソ連への回帰」と指摘する声もあるが、彼にはソ連のような明確なイデオロギーがあるわけではない。
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source : 文藝春秋 2022年7月号