わが友・葛西敬之氏を偲ぶ

杉田 和博 元内閣官房副長官
ニュース 経済 企業
好奇心旺盛、何でも実践派──。「国士」の意外な素顔。
杉田和博
 
杉田氏

スケールの大きな経営者

 JR東海名誉会長の葛西敬之さんの葬儀には、安倍晋三元首相も参列されていました。遺影を前にして弔辞に立った安倍さんはこう語りかけました。

「葛西さんに病床で『日本の将来を頼みます』と仰っていただいた。その最後の言葉を胸に、国政に全力で邁進します」

 死を覚悟された葛西さんは、安倍さんに日本の将来を託された。その厚い信頼に対する安倍さんの言葉を受け、感動は増上寺の斎場に伝わりました。つい6月半ばのことです。

 それからわずか1カ月足らずで、その安倍さんが凶弾に倒れられた。安倍さんの葬儀で再び増上寺に向かう道すがら、あまりの運命の苛酷さに言葉を失いました。今もまったく心の整理がついていないのが正直なところです。

 葛西さんとは、約30年の長きにわたり公私ともに深く付き合ってきました。彼は国鉄分割民営化の過程で数々の修羅場を潜り抜け、常に日本という国家の将来に思いを巡らせながらJR東海の経営にあたっていた。その姿はまさに「国士」と呼ぶにふさわしく、日本の財界を見渡しても、彼ほどスケールの大きな経営者を私は知りません。

 昨年10月に、約9年間務めてきた官房副長官の職を辞して以降、私はJR東海の顧問として、品川駅の東京本社に週1回ほどのペースで顔を出しています。

 葛西さんがいた頃は出社するとほぼ毎週、名誉会長室で一緒にお弁当を食べながら、2時間はじっくりお話ししました。濃密な時間をともに過ごしたのです。1歳ちがいの同世代としてこれまでの人生を振り返ることもありましたが、多くの時間は日本の今後について議論を交わすことに費やしました。彼は自ら背負った社内外の多くの仕事について、後顧の憂いがないよう、ひとつひとつ優先順位を見極めて道筋をつけようとされていた。私もしばしば意見を求められました。

 葛西さんが亡くなってからまだ2カ月ですが、彼の稀有な人柄と、その功績について後世に伝えることは私の務めだと思い、追悼の意味を込めてお話しさせていただきます。

葛西敬之
 
葛西氏

国鉄分割民営化での活躍

 最初の出会いは1993年のことでした。当時、私は神奈川県警本部長の職にあり、そこにJR東海の副社長だった葛西さんがお見えになりました。

 もちろん、それ以前から葛西さんの名前は知っていました。1987年に、中曽根政権のもとで実施された国鉄分割民営化の際、40代の若さで42万人を抱える巨大企業の前途を切り拓いた。彼は国鉄の分割民営化しか鉄道を再生させる道がないことを最初から分かっており、国鉄改革の使命を帯びた第2次臨時行政調査会で政治家たちと秘密裏に接触し、旧体制派による激しい抵抗にも屈することなく、分割民営化の流れをつくった。さらに職員局では、20万人もの要員合理化、それにより生じる余剰人員の雇用対策などを限られた時間の中でやってのけた。

 しかも激しい労働運動で有名であった国鉄の労働組合を相手にしてです。その活躍ぶりから彼の名は霞が関では知られていました。私も国鉄改革に関わっていた後藤田正晴官房長官の秘書をやっており、そのあたりの経緯を知っていたことから、すぐに意気投合して話が大変盛り上がったことを覚えています。

 そのとき印象的だったのは、葛西さんが「自分たちは、現実から目を背けることなく組合に対処してきた」とその経験を熱く語られたことでした。

 JR各社では、動労(国鉄動力車労働組合)、更には国労(国鉄労働組合)といった旧国鉄の労組の影響が経営面でも依然として残っていました。JR東海ではその影響を断固排除しようと葛西さんが先頭に立っていた。そのため卑劣な攻撃に晒されることもありましたが、わが身を挺して戦っていました。

 私自身も国鉄の頃から労働組合の問題はずっと注視してきましたし、問題意識も持っていましたので、葛西さんからの組合問題の相談に乗ったこともありました。

 それから間もなく、私は警察庁警備局長になり、阪神・淡路大震災やオウム真理教事件などの対応にあたるのですが、葛西さんとは折に触れ意見交換をするようになりました。彼の著書『飛躍への挑戦』や『未完の「国鉄改革」』などを読めば分かりますが、数々の修羅場を潜り抜けてきただけに、どんな問題に対しても冷静に分析され、的確な判断をされる。その頃からお互いの考えを忌憚なく言い合う仲となり、その後、国家公安委員も務めていただきました。

米国と手を組む他に道はない

 葛西さんが、JR東海を発展させた名経営者であることは論を俟ちません。東海道新幹線の高速化・高頻度化を進め、品川新駅を建設し、東海道新幹線の「第二開業」を成し遂げた。その結果、JR東海の経営は安定軌道に乗り、膨大な債務の返済も進みました。

 そして経営者として優れていただけではなく、日本の将来に深い思いを巡らす「国士」でもありました。自社の利益ばかりを追うのではなく、「いかに国家の発展に貢献するか」「国家の安全保障にどう活かすか」ということをいつも意識していました。

 超電導リニアの開発に力を注いだのは、新幹線が事業として一つの完成形に達したことで、会社全体の活性化のために新たな大目標が必要だと判断した面もあるかもしれませんが、もっと大きなものも見据えていました。

 まず、大規模なインフラプロジェクトですから、国家への貢献が大きな目的としてあります。数十年以内に巨大地震が予想されている日本で、東京―名古屋―大阪を結ぶ大動脈の二重系化は絶対に必要であること。そして東京と大阪を約70分で結ぶ画期的なスピードアップ、中間駅を中心とした地域開発などが葛西さんの頭の中にありました。

 さらに彼が卓越していたのは、発想がそこで終らないことでした。安全保障に関して人一倍関心の高い方です。日本を取り巻く地政学的な状況を考えると、日本は米国と手を組む他に道はない。リニア開発は、日米安全保障をより確かなものにするために役に立つはずだ。彼はそういう信念も持っていました。

 まずは日本が自立した技術や能力を持つこと。そのうえで、常日頃から両国の基幹産業が協力し合い、米国に「日本と組まないと駄目だな」と心底思わせるくらい、多層的な関係を構築しておく。それが日本の安全保障のためには必要であり、民間サイドから後押ししなければならないというのが葛西さんの考えでした。

 日本の得意分野はハードウェアの技術開発であり、その最先端分野のひとつがリニアです。だからこそ、葛西さんは米国の要人を何人も山梨の実験線に招いてアピールしていた。この手塩にかけて育てた「マグレブ」(超電導磁気浮上式鉄道)を米国に展開し、ワシントンDC―ニューヨーク間を結ぶ。テキサス州のダラス―ヒューストン間における東海道新幹線システムの展開と並行して力を入れてきたプロジェクトです。日米同盟を強化するためなら、技術を無償提供してもいいとすら考えていました。

 但し、アメリカであったら何でも無条件に受け入れるという人でもありませんでした。2013年に西武ホールディングスが、米投資会社のサーベラスによるTOB(株式公開買い付け)で乗っ取られそうになったときには、西武の後藤高志社長の要請を受け、率先して同志を募って防衛に入った。葛西さんの中では、「日本の基幹インフラである鉄道の運営を外国に委ねるようなことがあってはならない」との強い信念がありました。常に何が正しいかを考え、それを行動に移す人でした。また、自社の利益だけを考える経営者なら、首を突っ込まない話でしょうから、葛西さんが国益を最優先に考えて行動していたことがこのエピソードからも分かります。

リニアモーターカー
 
リニア中央新幹線

宇宙政策と教育改革

 大局的な視点から日本の将来を考えていたという意味では、鉄道以外にも取り組んでいたことがあります。一つは宇宙政策です。葛西さんは、内閣府の宇宙政策委員会の委員長を前身の組織も含めると晩年まで通算12年間、務めました。これからの国家戦略において宇宙政策はきわめて重要ですが、国内ではその認識が必ずしも充分とはいいがたかった。そこで財界人の中で、ずば抜けて知識も発信力もある葛西さんがふさわしいと思い、私が声をかけたのがきっかけでした。

 日本の宇宙政策は、宇宙基本法ができ、三菱電機やNEC、東芝、日立などの協力のもと進められてきましたが、充分な予算がつかない状況が続いていました。そのようななか葛西さんが中心になって、2010年に準天頂衛星「みちびき」を打ち上げるなど着実に成果を出し、近年、懸案であった予算も年間5000億円規模にまで増やすことを実現しました。彼の力があったからこそ成し得たことだと思います。

 もう一つ忘れがたいのは、教育問題への取り組みです。2006年にJR東海を中心にトヨタと中部電力などが共同で愛知県蒲郡市に海陽学園を創立しました。その中心にいたのが葛西さんでした。中高一貫の全寮制の男子校で、葛西さんには、英国のパブリックスクールに近いイメージがありました。

 葛西さんは第1次安倍政権の教育再生会議のメンバーにも名を連ねていましたが、海陽学園設立の直接的なきっかけは、小渕内閣が教育改革を打ち出したのにあわせて経済界のシンクタンクで出した提言の議論に参加したことだと聞いています。

 教育論は100人いれば100通りの意見があり、「これが正解」というものはない。当時も議論がなかなか前に進まなかったようです。私自身も身に染みてよくわかるのですが、古巣の警察庁でも、長官が交代するたびに教育方針が変わることが良くあります。しかし基礎さえしっかりしていれば成長する人はどんな教育でも成長する。だから私は、どちらかというとあまり教育制度を変更しても意味がないという考えでした。

 葛西さんも、優秀な若手は大抵その後も伸びるので、人材育成は「最初が肝心」であり、早い段階で真のエリート教育を施す必要があると考えていました。それで中等教育が大事だとなるわけですが、議論するだけでは仕方ない。実際に作ってみたほうが話は早い、ということで海陽学園を作ったのです。葛西さんの実践的でスケールの大きなところが垣間見える逸話だと思います。

山県有朋を評価

 長くお付き合いを続ける中でわかってきたのは、葛西さんは、とても好奇心が旺盛で、いろいろなことを勉強する意欲にあふれた人だったということです。

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source : 文藝春秋 2022年9月号

genre : ニュース 経済 企業