日経BP社から『江副浩正』(馬場マコト・土屋洋)という本が送られてきた。あのリクルート事件を起したリクルート社の総帥、江副浩正の伝記である。読んでみると私も登場人物の一人になっており、なかなか面白い。
一方で、間違いも色々ある。私がリクルート草創期の社員であったかに読み取れる部分があるが、私は社員であったことは1度もない。大学時代アルバイト委員会の紹介を受けて、アルバイターとして働いたことが付き合いはじめだ。当時リクルートは、社員わずか4人の大学新聞広告社と名乗る小企業だった。会社は小さな地下室一室だった。江副とはその頃からの付き合いだが、向うは社長。こちらはアルバイト学生だった。
いまも強い記憶として残っているのは、私が週刊文春で働いていた頃、彼の遊び人的部分が他の週刊誌で面白おかしく取り上げられようとしていたことである。そのとき何年も会ってないのに、突然電話がかかってきた。「あの記事何とか止められませんかねえ」という。何らかの(政治的)圧力ないし金銭的対価支払のもとにストップをかけられないかという相談だった。
何らかの圧力行使で他社の進行中の雑誌記事にストップをかけることは絶無ではないが、ほとんど不可能である。「アー、それは編集権の侵害になるからとても無理です。試みるだけで大スキャンダルになります。いずれにしても成功しません」と私はにべもなく断った。後に、いわゆるリクルートコスモス社の未公開株分与事件(いわゆるリクルート事件)が起きたとき、あのとき「なんとかしましょう」と一汗かいておけば、自分のところにも未公開株がまわってきたのかもと思った。幸い、私には彼のためにそのようなサービスをする意志も能力もかけていたから、その雑誌記事ストップにも、あのリクルート事件にもまきこまれることはなかった。
いま思うと、江副は元々そういう権力主義的、金権主義的発想をする人ではまったくなかった。もっと素直で純朴な好青年だった。あのあたりで彼の基本的性格がまったく変ったのだ。何がそれを変えさせたのか、この本を読んでもそこはさっぱりわからないが、想像はつく。経済的成功をおさめ巨額の資金を動かすようになるにつれ、この資本主義の世の中、自然にパワーがついてまわる。それに慣れてくるうち、佐賀県人の父親ゆずりの葉隠精神的権力への潔癖性がうすれ、むしろ金で政治を動かすことを当り前と感じ、それを実践する田中角栄時代の金権政治家的発想の持主になっていったのではないか。つまりこのあたりから、後のリクルート事件につながる精神の流れができあがったのではないか。そう考えると、あのときもっと強くたしなめるべきだったのかもと思うが、学生アルバイト時代から向うが報酬を払う側、こちらは受け取る側だったからそうもいえなかったという一面がある。
私の所になぜあの本が送られてきたかというと、参考文献に、私の著書である『素手でのし上った男たち』(番町書房)がのっているからだろう。これは私の最初の著書であるとともに、江副について書かれた最初の書物でもある。つまり、リクルートという会社がそもそもどのように生まれたか、江副がその最初の一歩をどのように踏み出したかについて本人にちゃんと取材して書かれた最初の本なのだ。それだけでなく、これは私が、立花隆というペンネームを使ってかいた最初の本でもある。それ以前から私は文藝春秋の社員として無署名原稿を沢山書いていた。この『素手でのし上った男たち』もはじめは文藝春秋の臨時増刊号に無署名で書いたものだったが、担当編集者が、印刷所で「お前そろそろペンネームを持ったらどうだ」といって、サラサラとペンを走らせて、本名に一味加えたペンネームを付けてくれたのだ。
雑誌記事ストップを断って以後、江副との交流は一切なくなった。
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source : 文藝春秋 2018年04月号