天皇皇后両陛下「玉砕の島」にかけた二十年の祈り

パラオご訪問秘話

渡邉 允 元侍従長
保阪 正康 昭和史研究家
ニュース 皇室

天皇陛下の強い意志で始まった南洋群島慰霊の旅。行動で示される「あの戦争」への想いとは

ペリリュー島に訪問し、生存者らと語らう天皇皇后両陛下 ©JMPA

 保阪 戦後七十年という節目に、天皇皇后両陛下がパラオをご訪問されました。

 今回、慰霊に向かわれたパラオ群島のペリリュー島は玉砕の地で、一万人以上の日本兵が犠牲となりました。上陸前に米軍の指揮官が「数日で落とせる」と豪語していたのが、日本軍は洞窟や地下壕に籠もって持久戦に持ち込み、結果的には二ヶ月以上も守り続けたことがよく知られています。ただ現在では戦史に興味がある人以外には、それほど知られていたわけではありません。そのペリリュー島に両陛下が「慰霊の旅」に行かれることになった。このようなお話は、どなたが言い出されるものなのでしょうか。

 渡邉 もう私は現役ではなく、今回のことは分かりませんが、私がお手伝いした十年前(二〇〇五年)のサイパンの慰霊の旅について言えば、明らかに陛下からのご提案でした。

 そもそも、両陛下は戦後五十年を迎えた二十年ほど前に、国内の「慰霊の旅」を始められています。平成六年に硫黄島に行かれ、七年には沖縄、長崎、広島、さらに東京大空襲の犠牲者を祀った東京都慰霊堂にも訪れられている。

 私は、その翌年の平成八年に侍従長を拝命しましたが、着任から暫くして、陛下から、国外でも戦没者を慰霊したい、そのために南太平洋の島々を訪れたいというお話がありました。

 南太平洋は、先の大戦の激戦地で、政府の建てた慰霊碑が三つあります。「中部太平洋戦没者の碑」がサイパン、「東太平洋戦没者の碑」がマーシャル諸島のマジュロ、そして「西太平洋戦没者の碑」が今回行かれたペリリューにある。また、この地域には、日本の委任統治時代に大勢の日本人が移住していて、その人々の子孫である日系人が多く住んでいる。それらの慰霊碑をまわり、日系の人々にも会いたい、というお気持ちでした。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

12,000円一括払い・1年更新

1,000円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
雑誌プランについて詳しく見る

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2015年05月号

genre : ニュース 皇室