「のど自慢」、紅白、親の死。初めて明かす。数々の友情秘話
「会うたびに1万円手渡してくれる」
上沼 よしみちゃんは今年で歌手デビュー50周年。おめでとうございます。ほんまにすごい。
天童 ありがとうございます。何十年もの歳月を経て語り合えるのは恵美ちゃんだけ。ほんまに幸せです。
上沼 よしみちゃんと私はほぼ同い年。いわば芸能界の「幼なじみ」です。共演は何度もしていますけど、2人で対談は初めてですよね。
天童 ほんと。夢のようで。
上沼 私もです。よしみちゃんとの思い出といえば伊丹空港。もう30年以上前ですけど、よく出くわしたんですよね。私は長男と東京へ行くところで、よしみちゃんは新曲のキャンペーンで全国飛び回っていて。
天童 恵美ちゃんはまだ小さい子供さんをおんぶしていました。
上沼 会うたびによしみちゃんは1万円手渡してくれる(笑)。「裸でごめんね。これで飴でも買(こ)うたげて」って。
天童 本当ごめんなさい(笑)。礼儀知らず、失礼でしたよね。
上沼 3回ほどいただきました。テレビ局で会っても「子供さん、大きくなった?」と言って、また1万円くれる。だから私、1万円目当てによしみちゃんに会えるのを楽しみにしていました(笑)。それは冗談ですけど、ほんま気前のええ方です。誰も1万円なんてくれません(笑)。
天童 私も他の人にはあげません。
上沼 ほんま? みんなにあげてはるのかと思っていた。
天童 いやいや、恵美ちゃんだから。知り合いに会うたびに1万円あげてたら破産します(笑)。
天童さん(左)と上沼さん
「のど自慢」で鎬を削った
上沼 初めてお会いしたのは小学校時代の「ちびっこのど自慢」。私も歌手を目指していたんです。
天童 「のど自慢」系の番組のスタジオに行くと、必ず恵美ちゃんがいて。当時は橋本(旧姓)恵美ちゃんでした。今でも鮮明に覚えていますよ、服装も。
上沼 スカートの下から毛糸のパンツが見えていたでしょ。懐かしいわあ。母が編んだピンクの毛糸のパンツです。
天童 上背があってスタイルが良くて目立っていました。
上沼 よしみちゃんは、昔から歌が上手すぎた。ことごとく優勝をさらっていく「のど自慢あらし」ですよ。私も結構自信あったけど、スタジオで姿を見かけると、私も父も「アカン、よしみちゃんが来てるわ」って。
天童 『日清ちびっこのどじまん』(フジテレビ)は、私が第15代、恵美ちゃんが第16代チャンピオン。子供にとって「のど自慢」の楽しみって、親から優勝した時にもらうご褒美。何、買ってもらってた?
上沼 私はソフトクリーム。当時、地元の淡路島では売ってなかった。いろんなところで食べたけど、梅田の阪急デパート8階大食堂がいちばんやった。よしみちゃんは毎回優勝やから、たくさんご褒美にありつけたでしょ。
天童 はい。私は、かき氷、ミルク金時を食べさせてもらってたなあ。
上沼 『ちびっこのどじまん』のグランドチャンピオン大会で、一緒に東京で歌いましたよね。当然、優勝はよしみちゃん。悔しかったけど、私はあれで歌手をあきらめて芸人の道へ進むことにしたんです。
天童 1番になりたい、プロの歌手になりたい。そんな夢を恵美ちゃんと分かち合えたのはかけがえのない思い出です。
上沼 いやもう、全然レベルが違いましたから。
天童 恵美ちゃんは、都はるみさんの『よさこい鴎』を歌っていましたよね。難しい曲やけど、こぶしを回して見事に歌いあげていた。
上沼 はるみさんの大ファンだったんです。のちに何度か対談させてもらいましたけど、毎回緊張して、手が震えちゃう。それくらい特別な存在なんです。よしみちゃんは何を歌ったんでしたっけ?
天童 中村佳代子さんの『北海育ち』です。大ヒットした曲ではなくて、あるときラジオから流れてくるのを聞いた父が「これを絶対に歌ったほうがええ」と言って。
上沼 また選曲がにくいねん。あのころ憧れていた歌手は誰ですか。
天童 美空ひばりさん。8歳のとき、大阪・新歌舞伎座の「お夏清十郎」という舞台で共演させてもらった。子役に応募したら受かって。ラッキーでした。
上沼 当然、歌ったんでしょ?
天童 歌う場面はなかった。村娘の役でひばりさん演じるお夏の帯を引っ張ったりしていじめるんです。
上沼 よしみちゃんが歌わないなんてもったいない。でも、歌ってもカットになったわ。(美空ひばりの声色で)「あの子の歌はやめてっ」と、絶対言うたと思います。
天童 そんなことない(笑)。ひばりさんが「堂々とやりなさい」と声をかけてくれたことが、その後の歌手活動の支えになりました。
〈私は歌をあきらめて……〉
上沼 アマチュア時代、誰かに負けたことあるんですか。
天童 『ちびっこのどじまん』のグランドチャンピオン大会のあと、さらに日本一を決める大会があって、そこで負けたんですよ。優勝したのは、明るいアメリカンポップスの『ヴァケーション』を歌った女の子。ショートカットで可愛くて、すぐにでもデビューできそうな感じで。私はここで負けたから今も歌えていると思う。『のどじまん』の悔しさをバネにして『全日本歌謡選手権』(読売テレビ)に挑戦しました。
上沼 出た! 『全日本歌謡選手権』や。あれは本当に力がないと勝ち上がれませんもんね。
天童 10週連続で勝ち抜くと、レコード会社と契約する権利をもらえる。五木ひろしさんも八代亜紀さんもあの番組の出身です。
上沼 よしみちゃんは昭和47年に『風が吹く』でデビューされます。もちろんレコードを買いに走りました。これがまたええ歌なんです。
天童 胸にグッとくるけど、ちょっと寂しい歌。いま思うと高校生の私が歌いこなすにはちょっと無理がありました。今ではうまく歌えるようになってコンサートでは必ず歌っています。今でも覚えているのが、デビューが決まったら真っ先に恵美ちゃんがお手紙をくれたこと。
上沼 うーん、記憶が薄れているんですけど、私、そんなことしているんですね。
天童 はっきり覚えていますよ。〈私は歌をあきらめて、姉と漫才でやっていこうと思います。お互いがんばりましょう〉って。お写真も同封してくださったんですよ。
上沼 ああ、そうでした、そうでした!
天童 写真は『のどじまん』の表彰式のもの。私がトロフィーをもらって母と喜んでいる。司会は大村崑さん、恵美ちゃんも写っている。あの手紙、嬉しかったなあ。
グリーン車に「やったー」
上沼 駆け出しの頃の思い出って、何ですか。私は九州で南沙織さんの前座で漫才したことが忘れられない。まず大阪から夜行列車。何時間も揺られて到着したときには顔は真っ黒になって。蒸気機関車に乗ったわけやないのになんでやろ(笑)。
天童 私も地方営業がつらかった。青森に行ったとき、大先輩の歌手はベンツ、私は宣伝カーの軽トラック。ドアを開けたら拡声器がドカッと陣取っていて、荷台に自分で片づけないと座れませんでしたよ。
上沼 芸人って今でこそスター扱いですが、当時は「笑いもの」。南沙織さんのコンサート会場では、「お前らに控室はない」とトイレで着替えさせられ、漫才してもお客さんから「もうええから早く南沙織を出せ」って野次が。売れっ子アイドルの南さんは飛行機でピューッと来て、ヒット曲を歌えば歓声が「キャー」、歌い終えたらまた飛行機でパーッと帰っていった。
天童 スターは早く東京に帰らなあかんから。
上沼 一瞬で居なくなりますよね、スターって。あと芸能人が気にするのは新幹線のグリーン車。新大阪駅のホームで、共演したばかりの新人の歌手に「いい曲やから絶対ヒットするわよ。頑張りや」と声をかけていたら、その子は「ありがとうございます」って言いながらグリーン車へ。私はまだ指定席の扱いで、惨めでした。
天童 携帯電話がないころは新幹線で連絡とるのも大変でした。母と指定席に乗っていたら「16号車にご乗車のテイチクレコード天童よしみちゃん」ってアナウンスが流れてきて。レコード会社の人がグリーン車まで呼びやがるんです。母とむっとしながら行ったら「乗っているかどうかの確認でした」。特に用事はなかった。
上沼 いちいち呼びつけるなよって話ですね。初めてグリーン車に乗れた時、「やったー、これが売れたってことか」と思いました。
天童 ほんま、そうですね。私は売れなかった時代のほうが長くて、そこで「負けたらあかん」と、へこたれなかったから、今も歌えているんだなと思いますね。
よしみちゃんの歌に救われた
上沼 よしみちゃんもいろんな苦労があったんですね。デビューから苦節13年、1985年に『道頓堀人情』がヒットしまして。そして、1993年の大晦日の紅白に『酒きずな』で初出場されました。これまでよしみちゃんの活躍は目に焼き付けてきました。
天童 えっ、曲まで覚えてくれてるんですね。
上沼 衣装も覚えています。ピンクですよね。
天童 そう、めちゃめちゃピンクが着たくて。NHKホールの控室に高級ワインを贈ってくださって感激しました。
上沼 すいませんでした、ほんと偉そうに。実は、あの時、家族旅行で与論島(鹿児島県)にいたんです。当時は、何もない、うら寂しい島で。一戸建てのコテージを借りたんですけど、テレビがない。だから島の電気屋でテレビを買って紅白を観たんですよ。
天童 すごい(笑)。
上沼 与論島は悪くないんですけど、こちらは人気(ひとけ)のない島のテレビのない部屋で、主人と息子と年の暮れを過ごしている。私は何しているんやろと、主人に対して無性に腹が立ったんです。もし結婚していなかったら、よしみちゃんと同じ紅白の舞台に立てたかもしれないと思えてきて。そんな訳ないんですけど(笑)。テレビを設置して、よしみちゃんの歌を聞いたときには救われました。泣きました。
天童 そう言っていただいて本当に有り難いです。
上沼 紅白はずっと出ていますもんね。
天童 おかげさまで26回出ています。
上沼 すごいわあ。それにしても、最近の紅白は様変わりしましたね。
天童 紅白で演歌を歌うのは、もう2、3人しか居なくて。寂しいなと思います。
上沼 最近はバックダンサーみたいなのがつくことが多いでしょ。もうグループ、団体芸で。私は歌はじっくり聞きたいと思ってしまう。私も番組で歌ったときにブラスバンドがついたことがあって。トロンボーンが耳の横でボン、ボンと鳴ってやかましくて音が取られへんかった(笑)。何回も歌っている曲やけど、どないしようって思いました。
天童 去年の紅白で『あんたの花道』を歌わせていただいたときには大阪桐蔭の吹奏楽部とコラボしたんですよ。
上沼 あれは最高の歌です。いつかやって来る~♪ ソイヤッ! って会場がひとつになって盛り上がりますよね。
天童 学生さんと衣装が同じ白色で被ってしまって。真っ赤なのを着ればよかった。あとで録画を見たときに、私、どこにいてるのよ? って思いました(笑)。でも桐蔭高校は甲子園の応援歌に使ってくれてて、嬉しい共演になりました。
上沼 でも、やっぱり天童さんだけはひとりで歌ってもらいたいです。秋口になったら、NHKに匿名で電話しておきます。
天童 お願いします(笑)。
売れても天狗にならない
上沼 ヒット曲が出て天狗になることってありました?
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source : 文藝春秋 2022年10月号