米中が水面下で繰り広げる「冷たい情報戦争」のリアル
春名氏
知られざる歴史と現実
「フー・ロスト・チャイナ?(中国を失ったのは誰だ?)」
1949年10月1日、中国共産党が革命政権を樹立した後、米国内で「ハリー・トルーマン民主党政権の責任だ」と追及する声が上がった。
米国は戦時中から蒋介石の国民党政権を支援していた。だが、太平洋戦争終結後の「国共内戦」では共産党の人民解放軍がほぼ全土を掌握、国民党政府軍は次々と拠点を失い、台湾に逃れた。東西冷戦の当初、米国は共産主義政権を打倒するため対中秘密工作を展開した。それが米中情報戦争の出発点である。
それから70年余。中国は近年、「米スパイ網壊滅作戦」や「サイバー攻撃」など、対米秘密工作で攻勢に出ている。特にサイバー攻撃のすさまじさには驚く。
アトランタの連邦大陪審は2020年2月、米国民約1億4500万人の個人情報や企業情報を2017年に米大手調査会社から盗んだとして、中国人民解放軍「第54研究所」に所属する中国人ハッカー4人を起訴した。被害に遭った大手調査会社は米国の三大信用調査会社の一つ、エクイファクス社だった。
2015年にも、中国のハッカー攻撃で米連邦政府人事管理局(OPM)のデータベースから、2210万人の現職・元職の連邦職員の情報が盗まれたことが判明している。
合算すると、米国人計1億6710万人分の個人情報を中国が把握したことになる。2020年の米国の総人口は3億3100万人で、単純計算だと50%以上の米国民の個人情報を中国が握ったことになる。
特にOPM情報は「個人情報」と「セキュリティ・クリアランス」の2つのデータベースが攻撃を受けており、後者には情報機関職員の重要な機密情報が含まれている。当時のジェームズ・コミー連邦捜査局(FBI)長官は「宝のコレクション」が盗まれたと発言している。
米中両国が繰り広げてきた「情報戦争」の知られざる歴史と現実を深掘りしてみたい。
日本を基地に対中「秘密工作」
国共内戦の間、米中央情報局(CIA)は、「チャイナ・ミッション」という組織を中国本土に置いていた。だが共産党政権樹立後、組織を中国から横須賀に移動させた。
CIA嫌いの連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー将軍は日本国内でのCIAの活動を認めていなかった。しかし、諜報活動を担当していたG2(参謀第二部)のトップ、チャールズ・ウィロビー少将は、CIAから提供された「上海市警察文書記録」と引き換えに、100人単位のCIA工作員らの日本上陸を認めた。ウィロビーは上海警察の捜査記録を基に、ゾルゲ事件の真相解明に異常な執念を抱いていた。
かくしてCIAは日本を「情報工作基地」として、さまざまな対中秘密工作を実行していくことになる。
1948年6月にトルーマン大統領が署名した「国家安全保障会議(NSC)10/2号」文書。その中に「秘密工作」の行動指針が明記されている。具体的には「プロパガンダ、経済戦争、破壊工作、地下抵抗運動やゲリラ、亡命解放グループへの支援、反共分子支援」等である。
情報機関の任務は情報の収集と分析だけではない。冷戦時代、非公然の秘密工作はもっと重視されていた。
「チャイナ・ミッション」のリーダー、デズモンド・フィッツジェラルドは葉山の御用邸近くの一色海岸に居を定め、香港に脱出してきた中国人たちに「横須賀、厚木、茅ヶ崎の秘密施設でスパイ訓練を施し、中国に送り返す」工作を展開した。
フィッツジェラルドはハーバード大学卒で、ウォール街の弁護士からCIAに転身した。シンクタンク「外交関係評議会」に出入りして、当時のCIA秘密工作機関、政策調整部(OPC)のフランク・ウィズナー部長と知り合ったのがきっかけだった。ウィズナーは戦時中、CIAの前身、戦略情報局(OSS)で、後にCIA長官となるアレン・ダレスの僚友で、親交を結んだ。
1950年に勃発した朝鮮戦争で冷戦はいっそう激化、秘密工作は拡大の一途をたどった。中国情勢に関して、CIAは1951年1月11日、NSCに次のような情報を伝えている。
「中国国内で積極的な抵抗運動を行っている勢力は約70万人」、「そのうち台湾の国民党政権と緩やかな関係を持つ者は30万人」にも上る可能性がある、というのだ。ウィズナーらは「中国大陸に何十万人もの反共中国人ゲリラ部隊がいて米国の支援を待っていると信じ」、これら「抵抗勢力」の増強に期待した。
そんな話を1995年頃に私に披露してくれたのは、CIAの初代日本課長カールトン・スイフトである。だが「実際は、そんな反中勢力は存在しなかった」(スイフト)というのだ。
CIAは中国大陸に亡命中国人計8500人を送り込む工作を展開したが、ほとんど全員が捕まった。1952年11月29日には、新人スパイのジョン・ダウニーとリチャード・フェクトーを韓国内の基地から標識のない軽飛行機で飛び立たせた。数日前に中国の吉林省に送り込んでいた中国人スパイから「食料がなくなった」との無線連絡があり、2人は現地に向かおうとしていた。だが、2人が乗った機体は中国軍の対空砲で撃墜された。2人は助かったが、パイロットは即死した。前年にダウニーはエール大学、フェクトーはボストン大学を卒業してCIAに入り、厚木に配置されたばかりだった。フェクトーは約19年間、ダウニーは約20年間服役した。
フィッツジェラルドは1955年まで米海軍横須賀基地内で対中工作を指揮したが、結果的に「チャイナ・ミッション」は大失敗だった。
デズモンド・フィッツジェラルド
チベットでの「秘密工作」
一方、チベットでも動きがあった。中国軍は1950年、チベットに進駐、翌年にチベットを中国の一部とする「17カ条協定」を押し付けた。だが、独自の宗教と歴史に誇りを持つチベット人たちがやすやすと中国共産党の軍門に下ることはなかった。チベット仏教の僧侶や勇敢な山岳民族の抵抗運動は拡大、「チベット動乱」に発展した。
CIA極東担当部長に就任したフィッツジェラルドが執ったのは強行策だった。中国共産党と戦い、チベットを解放しようと考えたのだ。
この秘密工作のコード名は「STCIRCUS」。「チベット国民義勇軍」を名乗る部隊を結成し、うち約250人を選抜して、コロラド州の「キャンプ・ヘイル」で破壊工作や無線通信の訓練をした。1958年10月から1959年2月の間に、バンコクからチベット現地にC130輸送機で10トン近い武器・弾薬などを輸送した。約10万人の中国軍に対して、数千人のチベット部隊は勇敢に戦ったようだ。
動乱のさなか、1959年3月10日に中国側によるダライ・ラマ拉致計画が発覚した。これを避けるため、当時23歳のダライ・ラマは3月17日、宮殿を出て馬に乗り、約20人の従者とともにヒマラヤを越えて、2週間後の31日にインド国境を越えた。この間、CIAがインド政府との調整などで支援、亡命が認められた。
その後もCIAは1960年まで年間170万ドル(当時の為替レートで約6億円)を亡命政権に提供するなど援助した。しかし、米国はチベットの独立は認めなかった。アイゼンハワー大統領は「僧侶の革命」を望まず、ダライ・ラマとの面会も拒否したという。米国にとってチベットは冷戦期で最後の対中秘密工作になったようだ。
米中国交正常化の陰で
一方、中国側も1970年を境に、対西側外交を活性化する新戦略に出た。そのきっかけになったのは1969年、ウスリー川(黒竜江の支流)の中州・ダマンスキー島(珍宝島)の領有権をめぐって起きたソ連との紛争である。他方、リチャード・ニクソン米政権もベトナム戦争後の対中関係改善を視野に入れていた。中国は1970年、カナダなどと国交樹立、1971年には「キッシンジャーの秘密訪中」、中国の国連復帰、1972年には「ニクソン米大統領の訪中」と続いた。
中国との「国交正常化」をめぐる舞台の裏で、日米中間の暗闘があったことはあまり知られていない。
ニクソン訪中の1週間前、2月14日付のCIA「インテリジェンス・メモ」が強い警戒感を示した。
「日本に台湾との外交関係を断絶させ、中国を唯一の合法的政府と承認させる好機になると中国は感じている(中略)日本が中国を承認すれば、米国に対し、それに追随せよとの圧力が高まると中国は信じている」
つまり、日本が中国と国交正常化をすれば、米国も正常化を求められる、とCIAは懸念したのである。
先に訪中したのはニクソンで、2月27日に「上海コミュニケ」を発表した。しかしヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は巧みな外交で、米中国交正常化を避けた。
こうなれば、ぜひとも日中国交正常化を実現させねば、と周恩来首相は考えた。7月7日に田中角栄内閣が発足すると、その3日後に周首相の密命を帯びた「上海舞劇団」が来日する。その団長は舞劇団の人間ではなく、当時中日友好協会副秘書長の孫平化だった。孫は1カ月以上日本に滞在して、大平正芳外相と4回も会談、「日中国交正常化」の概要をまとめた。孫は知日派として知られていたが、同時に情報の世界の人間でもあったといわれる。おかげで周首相の狙い通りの展開となった。
孫平化
田中角栄首相は9月29日の日中共同声明で「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府」と認めた。台湾についても「中国の領土の不可分の一部」とする中国政府の立場を「十分理解する」と表明した。
この共同声明を受け、台湾は即日、日本と断交した。
それから約2年後の1974年11月26日、キッシンジャーは北京の人民大会堂で鄧小平と会談した。鄧は、CIAの予想通り、米国は日本に追随すべきだ、と求めた。
「国交正常化問題では(略)前からわれわれの意見を表明している。それが日本方式だ」と鄧は指摘した。
不意を突かれたキッシンジャーは「あなたは、われわれに日本のまねをするよう強要している」と突っぱねたが、プライドを傷つけられ、田中に対する怒りを深めた。それが後のロッキード事件発覚につながる。
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source : 文藝春秋 2022年11月号