北朝鮮や中国の弾道ミサイル攻撃への備えとして、避難用シェルターを整備すべきだとの気運が日本でもようやく高まってきた。
2022年は、北朝鮮がかつてない頻度でミサイルを連射し、5年ぶりに日本国内で全国瞬時警報システム(Jアラート)が鳴らされるとともに、ロシア軍の侵攻後に多くのウクライナ国民が地下シェルターに退避する映像が何度も報じられた。
弾道ミサイル攻撃に遭っても、逃げ込む地下空間さえあれば国民の被害は抑えられる。国民が避難できていれば、軍は防衛作戦に専念できる。逆に、国民が無防備なままでは継戦が覚束ない。それは先の大戦の重い教訓でもあったのに、我々はそれを忘れていた。欧米諸国や韓国、台湾などはシェルター整備で日本のはるか先を行っている。一方、日本は「唯一の戦争被爆国」なのにシェルター整備の機会を逸してきた。
筆者は1991年にスイスのシェルターを取材して以降、日本にこそこうした施設が必要と考え続け、2017年の北朝鮮のミサイル連射時には避難体制構築を訴える記事を集中的に発信した。けれど政治や国民の関心は薄いままだった。以来、日本でシェルター整備が進まなかった理由を自問し続けてきた。その結果、7つの要因にたどり着いた。
このうち3つは、古くから日本に根付くものだ。第一に「縁起でもないことは言わない」という「言霊」思考である。これが危機を直視することを最初から阻んでいる。
第二に「無常観」である。牧畜文化で育まれた欧州系民族は、山々を人間に都合のよい牧草地につくり替えるように、目の前の問題を合理的に克服しようとする。異民族が来襲すれば地下に隠れてしのぐ知恵も磨いた。一方、地震と津波と台風になすすべもなかった太古の日本人は、自然に抗わず大災害も従容としてやり過ごした。「人は無から生まれ、無に帰る」という仏教的無常観はそんな日本人によくフィットした。
第三に、為政者に民を守る意識が希薄だった。欧州の城塞都市では、支配階層と庶民が有事の際には一致協力していた。一方、日本の城郭は庶民を守る施設ではなかった。例外は、島津勢の来襲時に避難してきた庶民を受け入れた「戦国時代の国民保護大名」大友宗麟の大分・臼杵城くらいしか思いつかない。
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source : 文藝春秋 2023年2月号