私自身は、それ一筋とでもいうように、西洋の歴史を書きつづけている。ただし執筆中は、現代に生きる日本人に教訓を与えるなどという考えはまったくない。そのような考えをもつとそれに使えそうな史実にばかり注意が向くようになるので、そうなっては歴史の全体像が描けなくなってしまうからである。というわけで、歴史物語執筆中の私の頭の中は完全な白紙。
それなのに、読んでくれた中でも少なくない数の人が、昔の話を読んでいるのに現代を考えさせられる、と言う。それは私に特別な才能があるからではなくて、歴史とは、形態は変わったにしろくり返すということではないか。でなければ、人間とは、本質的なところではいっこうに進歩しない存在である、ということかも。
『ローマ人の物語』の第三巻を「勝者の混迷」と名づけたのは、あれを準備していた頃の日本ではバブルがはじけた直後だったからで、この巻の内容は、カルタゴに勝利した後のローマを襲った混迷状態。日本も、経済上にしろ勝者だった。とはいえ、日本の混迷がその後二十年も続くとは想像もしていなかったが、古代のローマでも、いかに時間がゆっくりと経つ時代とはいえ、混迷から脱け出せたのは百年も過ぎてからだった。混迷からの脱出は、いつでも誰にとってもむつかしいのである。それも、敗者ではなくて勝者を襲った混迷はなおのこと。
『ローマ亡き後の地中海世界』で書きたかったのは、北アフリカに住むイスラム教徒と南ヨーロッパのキリスト教徒の、地中海を舞台にしての対決であった。だがこれは同時に、北アフリカから襲ってくる海賊と、それから守るためにイタリアの海洋都市国家、ヴェネツィアやジェノヴァやピサが作り上げた海軍、との対決の歴史でもあったのだ。そして、食べていけないために海賊をやるしかない民族と、手工業や通商で食べていけるので海賊をしなくてもよい民族との、対決でもあったのである。当時は黄金や大理石という天然資源の輸出国であった北アフリカでは、自国民に「職」を保証できる社会を作ることまではできなかった。一方、製造立国であり交易立国であったイタリアは、住む人々に「職」を保証できたのだ。
幸いにも今では、地中海からは海賊は姿を消している。が、ソマリア沖には出没する。そして、あれを書き終えた今ならば言えそうだ。海賊という現象は、貧しい者が豊かな他者を襲って奪う、のではなく、「職」を保証できない国に生れた人間が、保証できる国に生れた者を襲う現象である、と。
あの時代からは五百年は過ぎている二十一世紀の今、海賊は襲ってはこなくなったが、難民は来る。それも、これだけは昔と同じに、地中海が穏やかで風が北に向って吹く夏に押し寄せる。ジャスミン革命を起したのになぜ、と思うくらいに、今やシリアからもエジプトからも、リビアからもチュニジアからも来るのだ。地中海の中央に突き出した形のイタリアは、それを一身に受けて悲鳴をあげている。難民たちは武器は持っていなくてもケータイは持っているので仲間うちの連絡はでき、収容所内で暴動が起きるたびにイタリア当局は、非人道的な待遇をしているからだと、国連の難民救済機関あたりから非難されている。
非難されてもイタリアは、どうしようもない。自国民にさえも「職」を保証できなくなっているのだから。
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source : 文藝春秋 2013年10月号