ラスト・チャンス

日本人へ 第124回

塩野 七生 作家・在イタリア
ニュース 社会 国際

 未完成でもサマになるのは、シューベルトだけである。道路も、費用のメドが立たなくなったとかいう理由で中断されたままでは、道路と呼ぶこともできない。政治も同じだ。完成までこぎつけなければ、政治をやったことにはならない。今回の参院の選挙結果は、安倍首相と彼が率いる自民党に、そう言えるチャンスを与えたことになる。いや、ゆっくりと下降しながらいずれは海中に墜落すると思われていた日本という飛行機に、再浮上のラスト・チャンスを、乗客である日本人自身が与えたということになるのかも。

 短期の滞在の後で成田を発ったのは、参院選の当日だった。だから選挙の結果は、ローマのスペイン広場に行って買った、一日遅れの日本の新聞で知った。良かった、と心の底から思った。これで久しぶりに日本も、安定した政治にもどれるのだと。

 帰国中にはいつものことだが、日本の地方のニュースに注意するようにしている。それらを見ながらいだく想いは、こうも懸命に生きている日本人一人一人の努力を無駄に終わらせないためにも、政治の安定が必要なのだという一事につきる。政治とは、一見高尚に見えるイデオロギーや他の諸々の主義主張とはちがって、実に簡単な原理に立つものなのだ。つまり、自分たちの持てる力を最大限に活用した場合に成功する、という原理だけ。

 これまでに私は、まるで一人の人間の生涯を書いていくという感じで、二つの国の「生涯」、つまりは通史、を書いた。古代のローマ帝国と中世・近世のヴェネツィア共和国である。いずれも、相当に高い文明の水準を維持しながら一千年以上も長生きしたということで共通している。そしてこの二つの国とも、持てる力を最大限に活用したという点でも似ていた。個々別々の資質ならば、ライヴァル関係にあったアテネやカルタゴ、そしてヴェネツィアの場合はフィレンツェやジェノヴァには劣っていた。だが、それら全体を統合する力では優れていたのである。

 これを、政治力と言うのではないかと思っている。そしてこの政治力こそが、国家と言おうが住民共同体と呼ぼうが、それに属さないかぎりは普通には人間が生きていけない組織の、長命か短命かを決める要素ではないかということが、歴史を書いてきた中で私が学んだことであった。

 ただし、「政治」が「政治力」になるには短期間では難事、というのも歴史が教えてくれた人間界の現実である。それが今の日本は、安倍首相と自民党とそれに協力する公明党に、安定政権という名のチャンスを与えたのだ。今こそ、再浮上には絶好のチャンスである。この今を活用しなくて、何がホモ・サピエンスか。一寸の虫にも五分の魂、と言うくらいだから、人間ならば誇りってものがあるでしょう。

 新聞の論調を読んでみると、今こそ正念場、ということでは各紙とも同意見のようである。また、正念場というのが次の選挙までの三年間、ということでも各紙は一致しているらしい。だが私は「正念場」には同意しても、それが「次の選挙までの三年間」、というのには同意しない。三年なんて、すぐに経ってしまう。再浮上にとっての絶好のチャンスなのだから、三年なんてケチなことは言わず、十年先まで視野に入れてはどうだろう。そしてその十年だが、安倍プラス石破で小泉につなぐ十年間。この十年で浮上に成功すれば、その後は苦労少なく安定飛行に移行できる。という意味でも、どうしても十年は欲しい。十年後には私はもう生きていないにちがいないが、日本は安定飛行に向けて着実に浮上している、と思いながら死ぬのならば悪くない。

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source : 文藝春秋 2013年9月号

genre : ニュース 社会 国際