もう四十年以上も昔になるが、当時『平和の代償』(今なお名著)の著者として論壇の花形だった国際政治学の永井陽之助がこんなことを言った。
アメリカで流行ってるジョークなんだが、世界に四つ、絶対にないものがあると言うんだ。アメリカ人の哲学者、イギリス人の作曲家(クラシック)、ドイツ人のコメディアン、日本人のプレイボーイ。日本の外交が巧みになるはずないよね。
あれからの歳月を日本の外で暮らしてきた私が永井さんを思い出すのは、平和には必らず代償がつきまとうということと、日本人にはプレイボーイはいないということを思い知らされるときだったのである。
断わるまでもないとは思うが、プレイボーイとは、少なく与えて多くを取る能力に長じた人のことである。多く与えても少なくしか取れない人は、日本では「カモ」と言い、イタリアでは「ポッロ(ニワトリ)」と言う。比喩的には、馬鹿正直でお人よしで世間知らずの意味になるので、日本語もイタリア語もちがいはない。
今年でちょうど、ヨーロッパに来てから半世紀になる。この間、駐在員であったり一時的に立ち寄っただけの人にしろ多くの日本人と会った。ヨーロッパに来るくらいだから、この人々のほとんどは外国との接触が仕事になっている。結論を言えば、絶望的なくらいにポッロばかり、と思うしかなかった。若い世代になればと期待したが、これも絶望的である。これはもう年齢ではなく、民族の問題なのだ。少なく与えて多くを取る能力を、わが日本人は本質的に持ち合わせていない、と思うしかない。彼らは既得権階級に属しているので、逆転の発想に訴える必要さえもないのだと思う。
ならば、既得権階級の外にいるとされる女ならば、この面での改善の旗手になれるはずだが、それも絶望的ときている。日本の頭の良い女たちは、男と同じことをすれば女の自立は達成できると思いこんでいるらしく、当然の帰結として、永遠に男の後を追いかけることになる。女にとっての真の自立は男を越える仕事をしたときに達成できる、とは考えないのだろうか。というわけで日本人は、老若も男女も関係なく、馬鹿正直でお人よしで世間知らずで、それでも日本人同士ならば充分にやって行けるので、悪知恵を働かせる必要に目覚めないのだろう。
しかし、日本の中では有効なこの種の生き方は、相手が他国人となると通用しにくくなる。なぜなら、相手と良識や善意を共有するからこそ有効なので、共有していない場合は有効でなくなるからだ。ところがめんどうなことに、良識や善意は、歴史の認識と似ている。つまり、歴史事実は一つでも、歴史認識となると複数になるのと同じ性質をもつ、というわけ。こちらでは良識と善意に基づいて言っているのに、あちらでは、歴史を直視しないずるいやり方と受取られかねないのだ。
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source : 文藝春秋 2013年8月号