滅びの風景

日本再生 第63回

立花 隆 ジャーナリスト
ニュース 社会 政治 歴史

 公私混同疑惑で辞職のやむなきにいたった舛添都知事が六月二十日、都庁への最後の登庁を果したが、終始無言。退庁するまで一言も言葉を発しなかったという。お粗末な知事だったと思うが、歴代の都知事の中にはもっとお粗末な人が何人もいた。そもそも最初の都知事、しかも初代、二代、三代と一人で十二年間も都知事をやりつづけた都政の主(ぬし)、安井誠一郎にしてからが舛添の何層倍もひどいダメ知事だった。この人はもともとが内務省の役人で、都長官という名の最後の「官選知事」でもあった。その時代を含めると、実に十三年間も、利権あさりと汚職に終始した都政一大腐敗時代を築いた人だ。

 その権勢ならぶ者なかった安井都知事、今となってはその名を知る人もほとんどいないと思うが、その人物像を知るのは簡単だ。上野駅を公園口で出ると、目の前にそびえ立っているのが東京文化会館。音楽会、オペラ、バレエなど舞台芸術の公演が日夜目白押しの文化の殿堂で、日本を代表する建築家、前川國男の作品だ。

 その向かいにあるのが最近世界文化遺産に登録されることになったル・コルビュジェ作の国立西洋美術館。その前庭にならぶロダンの地獄の門、カレーの市民など一群の野外彫刻群は、ほぼ全部ロダンのオリジナルから再鋳造された本物の松方コレクションだ。

 この東京文化会館と西洋美術館の間にはさまれた、文化的一等地に、一見して醜悪な、なんでこんなうすぎたないものがここにあるのかといいたくなるような胸像がポツンと置かれている。それが安井都知事の胸像である。作者は北村西望。長崎の平和祈念像を作った人として有名だ。名彫刻家として腕が立つ人だったから、利権と汚職にまみれた醜い人物をちゃんと醜く作りあげたらしい。

 それにしても安井都知事の像がなぜここにあるのかというと、東京文化会館を都の事業としてここに作りあげた人が安井だからだ。文化会館の起工式もここで行われた。

 その前にここに何があったかというと、葵(あおい)部落といわれるスラム街だ。

 なぜ葵なのかというと、この上野公園一帯、もともとは幕府から高僧天海に徳川家の菩提寺(寛永寺)ならびに墓所として下げ渡されたもので、全山葵の御紋章付きの土地だからだ。いまでも上野駅-鶯谷駅の間の山側には徳川家の墓所が延々とつらなっている(寛永寺ならびに多数のその別院として)。文化会館のあるあたりは、凌雲院という別院の巨大な墓場だったが、幕末の頃からルンペン、売春婦、廃品回収業者などの食いつめ者、アウトローたちが好んで住みつく場所となった。(奈良平安の頃から巨大仏教寺院の墓場の多くが、仏教的慈悲心からそれ的利用を許してきた)そこに戦争末期の時代、空襲で焼け出された困窮者たちがテントを張ったり、掘立小屋を建てたりして住みつき、広大なスラム街が形成されていった。それが葵部落の起源である。

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source : 文藝春秋 2016年8月号

genre : ニュース 社会 政治 歴史