七月十三日、NHKは午後七時のニュースで、天皇が「生前退位の意向を示している」と報じた。
このニュースを聞いた宮内庁のスポークスマンは、「そのような事実はない」と一言の下に、事実の存在を否定した。しかし、「じゃ抗議しますか?」の記者の問いかけにもイエスの答えを返さなかった(抗議しないということは、暗黙の肯定だった)。すぐに各社それぞれの情報源でウラをとったらしく、翌日の紙面(TVニュース)には「生前退位」の大見出しがならんだ。
その後数日間で、さらにウラ話が取材され、いまではプラスアルファの事実がかなり明らかにされている。
天皇生前退位の意思は数年前にかためられ、皇后、皇太子、秋篠宮にはかなり前からその気持を打ち明けていた。
ただ生前退位とはいっても、そう簡単には実現しない。日本の法制度上、天皇は終身の業務の実践者たることが義務づけられており、勝手に途中でやめるわけにはいかない。天皇は憲法上、「日本国の象徴」ならびに日本国の「国民統合の象徴」である。象徴とは何であるかといえば、佐藤功『ポケット注釈全書 憲法』に従えば、「たとえば、武の象徴は剣、文の象徴はペン、王位の象徴は王冠、平和の象徴は鳩というが如し」とある。なにかわかったようなわからないような表現だが、日本国ないし国民統合の象徴を個別具体的な一個人(天皇)にさせることができるのか。そういう個人を選んだとして、その人から「では自分はどうすればいいんだ。自分のこれからの一挙手一投足をどうすればいいんだ」といわれたら困るだろう。剣でもペンでも鳩でもない、具体的な生身の人間が、抽象的非感覚的な象徴存在になりきれるわけがない。日本の天皇という立場は、そういう不可能な役割を一生果しつづけなければならない立場なのだ。八十年もそういうことをやりつづけていたら、(現天皇の場合天皇になってからは二十八年。皇太子時代から数えると八十二年)、もう引退したいといいだしたくなる気持もよくわかる。しばらく前から秋篠宮が、天皇にも定年があってしかるべきと発言しだしているが、それは、そば近くから、象徴天皇という不可能な職務を真摯に果しつづける現天皇ないし先代天皇を見てきて、その苦しみも知っているからだろう。
私は今回の天皇の生前退位騒動の一番の核にあるのは、現行の象徴天皇制の根底にある人間学的無理だと思う。人間はすべて生身の生理学的無理(精神的肉体的)をあちこちにかかえこんだ存在だから、一定限度以上は、抽象的観念的存在たりえない。それは、これが理想的な日本人ですと紹介できる具体的人物がいないのと同じことだ。あるいはプラトンのイデアそのままの理想の人間存在がこの世にないのと同じことだ。
制度と人間存在の間に矛盾があるなら、どちらかを曲げる必要がある。今回の騒ぎの根底にあるのは、現行の皇室典範に、天皇引退(譲位)あるいは休業などの規定がなく、死ぬまで休みなしに働きつづけるのが当然の前提とされていることだと思う。
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source : 文藝春秋 2016年9月号