今月の巻頭随筆、はじめは熊本地震について書くつもりでいた。取材も資料集めもかなりやり、数ページ分の原稿を入稿して、ゲラまでいった。そのとき、伊勢志摩サミットが終り、オバマ大統領の広島訪問となった。
はじめはゲラをチェックしながら、つけ放しのテレビをときどき見るという程度のフォローしかしていなかった。オバマの広島滞在は限られており、原爆慰霊碑への献花のあと、ちょっとしたスピーチをする予定と聞いていたが、それは、広島平和記念資料館を見学して所感を簡単に述べる程度とされていた。ところがそのスピーチ、はじまってみると、十七分間もつづく本格的なもので(日本語にして四千字相当)、入念に準備された、きわめて中身が濃いものだった。はじめはNHKの同時通訳の水準が低く、演説内容をちゃんとフォローできた人は少なかったようだが、翌日の新聞に全文が掲載されると、このスピーチに対する見方が変った。「七十一年前の雲一つない朝、死が空から降りてきた。一閃の光と炎の壁が一つの街を丸ごと飲みつくし、人類は人類絶滅の手段を手にしたことを示した」という印象深い書き出しとともに、オバマは核爆弾の登場がどれほどこの世界を変えてしまったかを語った。そしてこのヒロシマの地で、その日に思いをこらすことにどれほど大きな人類史的意義があるかを淡々としかも雄弁に語っていった。
アメリカ大統領の歴史に残る名演説はいろいろあるが、オバマのヒロシマ・スピーチは、就任直後のプラハ・スピーチとならんで名スピーチとして残るだろう。ヒロシマとナガサキは核戦争時代の夜明けとして記憶されるべきではなく、戦争そのものに別れを告げる目ざめのはじまりにしなければならない。ヒロシマに来て、ここで死んだ無数の罪なき人々の魂の声に耳を傾け、文明の方向を変え、科学技術力を戦争技術や破壊力の効率的利用からより建設的な方向に変えていく文明の大転換点としなければならない、こういうオバマの「チェンジ」精神が色濃くあふれたスピーチとなった。
もちろん、オバマがとなえる文明の方向転換の話は、あくまで理想論にすぎず、それを現実世界のなかでいかに実現していくかは、まったく別問題だ。理想を説くのは簡単だが、それを実現していくのは、途方もなく困難である。
実はオバマのスピーチの前にとりかかっていた地震の話のほうでも、目標設定はやさしいが、それを現実化するのは、著しく困難という問題が大昔からある。
地震予知の問題である。地震学の目標はある意味シンプルである。いつどこでどのような地震が起きるかを予想し、そのような地震が及ぼす被害を未然に防止できたら、問題解決である。
一時日本の地震学は予知予報が可能という前提のもとに、それが研究の中心になった。いろんな予知予報理論があらわれて、そのための情報(前兆)集めに、莫大な予算が投じられた時代もあった。しかし、ある時代から、そのような予知予報理論に片端から疑問符がつくようになり、予知予報はそもそも不可能とする考えのほうが強くなった。いまではむしろ大地震の発生をP波の段階でいち早くつかんで、あらゆる機械装置をシャットダウンすることで、実被害を防ぐという工学的地震被害最小化の考えが強くなっている。
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source : 文藝春秋 2016年7月号