ドストエフスキーと共通するテーマ『告白』湊かなえ

ベストセラーで読む日本の近現代史 第31回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
ニュース 社会 読書

 湊かなえ氏の『告白』は、300万部を超える大ベストセラーだ。ただし、ミステリーの書評は難しい。読者から、謎解きの楽しみを奪ってはいけないので、内容の紹介が中途半端にしかできないからだ。この小説は、ドストエフスキーが『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』で展開しているのと、同じテーマを扱っている。ドストエフスキーのこの二つの小説も、19世紀に発表された時点では、ミステリーとして読まれた。『告白』も半世紀後にはドストエフスキーと並ぶ古典として読まれるようになると思う。

 

 物語は、S中学校の3学期の終業式から始まる。1年B組担任の森口悠子は、3月いっぱいで教員を辞職すると告げる。その理由は、1カ月余り前に中学校のプールで一人娘の愛美が死亡したからだ。愛美の死は、事故として処理されたが、真相は殺人であることを森口は生徒たちに説明する。森口は、犯人は1年B組のAとBであると匿名で語るが、誰にもAが渡辺修哉で、Bが下村直樹であることがわかるように説明した。しかし、森口は2人を告発しない。その理由についてこう述べる。〈私は聖職者になりたいなどと思っていません。/警察に真相を話さなかったのは、AとBの処罰を法に委ねたくなかったからです。殺意はあったけれど直接手を下したわけではないA。殺意はなかったけれど直接手を下すことになったB。警察につきだしたとしても、二人とも施設に入るどころか、保護観察処分、事実上の無罪放免になりかねません。Aを感電死させてやろうかと思いました。Bを水死させてやろうかと思いました。しかしそんなことをしても愛美は戻ってきません。そして二人が自らの罪を悔い改めることもできません。私は二人に、命の重さ、大切さを知ってほしい。それを知った上で、自分の犯した罪の重さを知り、それを背負って生きてほしい。〉。二重、三重の複雑な復讐のプログラムを森口は組み込んだのである。

理不尽な悪の力

 この小説は、六章により構成されている。いずれの章も一人語りの形態が取られている。話者は、第一章「聖職者」と第六章「伝道者」が森口悠子、第二章「殉教者」がクラス委員長の北原美月、第三章「慈愛者」が下村直樹の母、第四章「求道者」が下村直樹、第五章「信奉者」が渡辺修哉である。章ごとにそれぞれまとまった内容だが、話者によって同じ事柄に対する異なる解釈が語られる。芥川龍之介が『藪の中』、渡辺淳一が『阿寒に果つ』で用いている一つの事柄を複数の視座から描くという手法だ。

 渡辺修哉は、『カラマーゾフの兄弟』の聡明で冷徹な無神論者である次兄のイワンを想起させる。〈殺人が犯罪であることは理解できる。しかし、悪であることは理解できない。人間は地球上に限りなく存在する物体の一つにすぎない。何らかの利益を得るための手段が、ある物体の消滅であるならば、それは致し方ないことではないだろうか。/しかし、こんな自分であっても、学校で「命」というテーマで作文を書けと課題が出れば、クラスの誰より、いや、県内の中学生の誰よりも上手く書けるのだ。/ドストエフスキーの『罪と罰』から「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、現行秩序を踏みこえる権利を持つ」という部分を引用し、それに対して「命の尊さ」という言葉を用いながら、この世に肯定してもよい殺人などないことを、中学生らしい言葉で主張する。原稿用紙五枚、半時間足らずの作業だ。/何を言いたいのか? 文章で表す道徳観念など、学校に入ってからの単なる学習効果でしかないということだ。(中略)/しかし、ごくまれに、学習により、己の地位や名誉とは関係なく、たとえ犯罪者であろうと命の重さは同じ、と異議を唱える人もいる。いったい、どのような学習を受ければ、そのような感性が育つのだろう。生まれたときから、命の尊さを謳った昔話(そんなものあるのか?)を、毎晩耳元でささやき続けられたのだろうか。もしそうならば、納得できる。自分がそのような感性を持ち合わせていないことに。〉

 渡辺修哉は、自らを非凡な天才と考えている。それだから、自分には、殺人を含め、何でも行う権利があると考えている。修哉が、標的とした愛美には、殺される理由は何もない。ドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』で、子どもの殺害、虐待を繰り返し描き出したが、『告白』でも何の罪もなく殺される愛美を描くことによって、この世界が理不尽な悪の力によって支配されていることが示唆される。

 修哉は、自分が命の尊さを理解できない理由として、母親から受けた教育をあげる。〈母親は昔話など一度も聞かせてくれたことはないのだから。添い寝はしてくれた。しかし、毎晩聞かせてくれるのは、電子工学の話ばかりだった。電流、電圧、オームの法則、キルヒホッフの法則、テブナンの定理、ノートンの定理……。夢は発明家になることだった。どんなガン細胞でも取り除ける機械を作りたかった。物語の最後はいつもこの言葉で締めくくられた。/価値観や基準というものは、生まれ育った環境によって決められる。そして、人間を判断する基準値は、一番最初に接する人物、つまり、大概の場合は母親によって定められるのではないかと思う。例えば、あるAという人物に対して、厳しい母親に育てられた人は、この人は優しい人だ、と感じ、優しい母親に育てられた人は、この人は厳しい人だ、と感じるように。/少なくとも、自分にとっての基準は母親だ。しかし、彼女よりも優れた人間に、未だかつて、会ったことがない。つまり、自分の周囲には、死んだら惜しいと思う人間は誰一人いないということだ。〉

 人間を判断する基準値は、一番最初に接する人物によって定められるというのは真実と思う。しかし、それは、必ずしも母親や父親、あるいは家族であるとは限らない。初めて体系的なものの見方、考え方を教えてくれた人物によって影響を受けるのだと思う。修哉の場合、母親が電子工学に基づいて、工学的な世界観を教え込んだことに根本的な問題がある。母親はガン細胞を機械によって取り除くことが可能であると考えていた。ここには、生物が機械的結合では解明できない有機体であるという発想が欠けている。その母親の影響を受けた修哉は、自分の周囲の世界は全て操作可能であると考えている。このことが、自分には殺人を含むあらゆることが許されているのだという誤った全能感を修哉に抱かせる原因になった。

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source : 文藝春秋 2016年4月号

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