野次の中で正気を失う人々
レベッカ・ソルニットが書いた『災害ユートピア』には、大災害の際に人々の間で善意が呼び起こされ、分かち合いのコミュニティが誕生することが描かれている。しかし一方で、災害は人間の悪魔的な側面を引き出してしまうこともある。その端的な例が、関東大震災後の朝鮮人虐殺である。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマを信じた群集が、各地で朝鮮人を惨殺した。
本書が取り上げるのは、日本人が朝鮮人と誤認され、殺された福田村事件である。関東大震災から5日後、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)で、香川県から来ていた薬売り行商人15名が自警団に襲われ、幼児や妊婦を含む9名が殺された。
行商人たちが川の対岸に行くため、渡し船に乗ろうとしたところ、荷物の運び方をめぐって船頭とトラブルになった。すると、船頭が「どうもお前たちの言葉づかいが日本人でないように思うが、朝鮮人とちがうのか」と言い出し、近くの寺の梵鐘をつくと、村の自警団が日本刀や竹やり、猟銃などを手に集結した。周りからは「こいつらは朝鮮人に間違いない」という野次が飛び交い、中には「殺ってしまえ、殺ってしまえ」という声もあがった。
そんな中、行商人の1人が近くの農家にタバコの火をもらいに行こうとすると、「逃げよる!」と群集の1人が騒ぎ立て、「逃がしたら厄介なことになる」という集団心理が働いて、殺害が実行された。日本刀で惨殺した25歳の男性は、群集の中から「貴様は見物にきたのか」と囃し立てる怒声が聞こえたため、「ついやったような訳です」と証言している。
人は集団になると、思いがけない狂気をまとうことがある。普段は家族思いの温厚な人が、群集心理によって、とんでもない暴力を働いてしまうことがある。福田村事件はその典型的な実例だ。
群集の熱狂の中で行われた犯罪は、当事者から責任感や倫理観を奪い取ってしまう。裁判を取材した新聞記者は、被告の態度が「他事の様に冷々淡々と」しており「呑気なもの」だったと綴っている。犯罪者の家族に対しては、村を挙げて見舞金が送られ、農繁期の手伝いをしたという記述が残っている。受刑者の1人は、服役後に村長をつとめた。
著者は言う。「お国のためにやったのだという村民あげての意識が働いた証拠であり、いっぽう被害者への思いは全く欠落しているという特殊な構図が、浮かびあがってくる」
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source : 文藝春秋 2023年9月号