バンフ「野生動物の回廊」
カナディアン・ロッキーのバンフ国立公園では住民たちが100年以上にわたって生態系保全のあり方を模索してきた。いま国境を越えて野生動物を守る取り組みが始まっている。
動物も人間も自由に生きる術を身につけた
そびえる山々が氷河を抱き、麓にターコイズブルーの湖水が輝く。カナディアン・ロッキーは、誰もが一度は訪れたい憧れの地だ。その拠点バンフは開放感に溢れた居心地良いリゾート。自然を愛する住民たちが100年以上にわたり、野生動物とどのように共に暮らすべきか向き合ってきた。観光客は散歩中にオオツノヒツジの群れに出くわし、ゴルフ場でプレーするかたわらでエルクやカナダ雁が悠然と寛ぐ姿を目にする。その光景に驚きながら相好を崩すのだ。
バンフ国立公園を貫くハイウェイを進んでいくと頭上に巨大な橋が見えてくる。動物専用の橋「アニマル・オーバー・パス」だ。
1962年にハイウェイが開通すると、車にはねられ命を落とす動物が年間100頭近くに上った。
この不幸な事故を防ぐため、国立公園管理局はハイウェイに沿って82キロに及ぶフェンスを設置した。すると事故は減ったものの別の問題が浮上した。動物が道路を横切ってロッキー山中を往来できなくなり、生態系が分断されてしまったのだ。特に食物連鎖の頂点に立つヒグマやオオカミは、狩りや繁殖のため広大な森と谷を行き来する。その生息域が孤立した島のようになると、個体数は減り、絶滅の危機に瀕しかねない。特定の動物だけでなく生態系全体が崩れてしまう。そのため次に「アニマル・アンダー・パス」が導入された。動物専用の地下道でハイウェイの下をくぐり抜けられる。しかし警戒心の強いヒグマやオオカミはあまり利用しなかった。
そこで1996年、ハイウェイの上に架かる「アニマル・オーバー・パス」が1箇所あたり1億数1000万円もの巨額を投じて建設された。ようやくヒグマやオオカミも安全に移動できるようになったのだ。現在は園内にオーバー・パスが6箇所、アンダー・パスは38箇所設置され、動物と車の衝突事故は8割以上も減少した。
だが、動物が生活するのはここだけではない。生息領域を考慮し、カナダ北部のユーコン準州からカナディアン・ロッキーを通りアメリカのイエローストーン国立公園まで繫ぐ「ワイルドライフ・コリドー(緑の回廊)」を守る取り組みが始まった。バンフのノウハウを生かし隣接する街にもアンダー・パスが設けられ、オーバー・パスの建設も進められている。道路や住宅の建設などで生息地が分断されても、その間を橋や地下道で繫いで移動できるような試みだ。野生動物との共存の道は国境を越えて広がっていく。
文=半藤将代
写真=Banff & Lake Louise Tourism / Shannon Martin / Paul Zizka, Johan Lolos
協力=カナダ観光局、アルバータ州観光公社
アルバータ「世界市民の地」
かつて鬱蒼とした森や草原が続く広大な地を拓いた人々がいた。新天地を夢見て海を渡り、カナダへやってきた移民たちだ。その子どもたちが今、民族固有の伝統文化を分かち合い、多文化国家のカナダが誕生した。
ウクライナの人々が築いた菜の花畑と伝統文化
抜けるような青空の下、黄色い菜の花畑が地平線まで続く。しばらくいくと今度は緑色の小麦畑が海原のごとく波打つ。大陸横断鉄道の車窓から、プレーリーと呼ばれる大平原を、風がわたっていくのが見える。
アルバータの州都エドモントンは、人口100万人を超えるカナダ第5の都市。しかし、カナダが建国された150年余り前、ここは何もない土地だった。20世紀に入ると農業で、戦後は石油で栄えたが、その発展を支えたのは広大な森や荒れ地を開墾した人たちだった。
1885年に大陸横断鉄道が完成すると、政府は内陸部を農地に変える労働力を求め、ヨーロッパで大々的に開拓者募集キャンペーンを行った。人々は新天地を求め大西洋を渡り、鉄道でカナダ西部にやってきた。
移民の中には多数のウクライナ人もいた。ハプスブルク帝国とロシア帝国の支配下で領土を分断されていたため、ガリツィア人やブコヴィナ人、ポーランド人として入国した。自分たちの農地を夢見て、開墾に適した土地を探し林の中を歩いたという。手にしていた布袋には、故郷ウクライナの黒い土と小麦の種があった。貧しく屈強な農民は粗末な小屋で寒さと孤独に耐え、その手で木を切り倒し、荒れ地を耕していった。20年が経ち、ふるさとと同じ黒い土の畑は、小麦や菜種など豊かな実りをもたらすようになった。
1927年、そんなウクライナ移民の二世として画家ウィリアム・クレリークは生まれた。幼い頃から家族の農場で耕作や収穫、家畜の世話など朝から晩まで働いた彼は、後にこの体験を絵本などで詩情豊かに描いた。作品は現在もカナダで多くの人に愛されている。生涯かけて「自分はウクライナ人なのかカナダ人なのか」という問いに向き合い、アイデンティティを引き裂かれる苦悩を抱えた。後年、カナダ各地を旅し、人々を愛情込めて描いた作品から、彼がその答えを見出したことがわかる。
「私は自分が世界市民であることを自負していた。これは民族性を恥じたり、国家に反逆したりしなくてもすむことを意味した。人間はその出自を尊重し、もし可能ならその伝統を共有すべきである」(『カナダ歴史紀行』木村和男著)
エドモントンでは、ウクライナ伝統の刺繍や家庭料理「ピエロギ」が広く親しまれている。くるくると旋回する風のようなダンスには、多様な住民が参加する。民族固有の文化はここで進化しながら継承されていく。
文=半藤将代
写真=Travel Alberta,Ukrainian Cultural Heritage Village
協力=カナダ観光局、アルバータ州観光公社
source : 文藝春秋 2022年5月号・6月号