ケベック「歴史を紡ぐホテル」
フレンチ・カナディアンとして強い存在感を放つケベックは歴史のなかで独自のメンタリティ「ジョワ・ド・ビーブル(生きる喜び)」を形成してきた。そんなケベック流の精神を体現するホテルがある。
エリザベス女王やチャーチル。世界の著名人を癒やした名宿へ
北米唯一のフランス語圏として独特の個性と存在感を放つケベック。陽気で情深く楽天的。芸術性とユーモアに満ちてロマンチック。「ジョワ・ド・ビーブル(生きる喜び)」こそが、ケべコワ(ケベック人)の信条だ。ときに頑固で譲らない一面も。いつの間にかこちらもケべコワのペースに巻き込まれてしまう。
人生を謳歌する彼らだが、苦難に耐えた歴史がある。フランスが戦争に敗れて1763年ケベックがイギリスに割譲されても、自分たちのルーツである言語や文化を守ってきた。イギリス統治下での様々な葛藤を経て独自のアイデンティティを確立し、現在も車のナンバープレートには「私は忘れない」と刻まれている。
そんなケベックを象徴するホテルがある。セントローレンス川を見下ろす高台に建つシャトーフロンテナックだ。クラシックとモダンが融合する美しい内装や調度品の豪華さに加え、スタッフのチャーミングな笑顔と心通わす温かいホスピタリティが、滞在を忘れがたいものにする。
1893年に開業して以来、英国のエリザベス女王やモナコのグレース公妃など、世界各国から多くの賓客を迎えてきた。1943年8月、当時のイギリス首相チャーチルとアメリカ大統領ルーズベルトが第二次世界大戦終結にむけての戦略を話し合うケベック会談が秘密裏に行われた。その間、特ダネをとろうと集まっていた記者たちの関心を逸らすため、シャンペンを振る舞い、盛大な社交パーティーを開いたという。
そんな歴史のドラマもいまはホテルのおもてなしの一部だ。チャーチルが滞在したスイートルームには、当時をうかがい知る写真やチャーチルの愛用品などが飾られている。
古城のようなホテルは何度も建て増しされた結果、タワーを囲む5棟の建物はまるで迷路。廊下を曲がって扉を開く度に過去と未来が交差し、時を超えた物語を紡いでいく。
文=半藤将代
写真=Fairmont Le Château Frontenac
協力=カナダ観光局、Fairmont Le Château Frontenac
プリンス・エドワード島「世界が羨む美食の地」
『赤毛のアン』の舞台として知られるこの島は世界中からグルマンが集う。畑や海で自然の恵みを受けた食材がそのまま食卓へ。この島で過ごす幸せを嚙みしめる瞬間だ。
名作にも描かれたここにしかない口福の時間
100年余り前の『赤毛のアン』に描かれた風景や人の営みがいまも残る。大西洋に浮かぶこの島は、赤土の大地に緑の丘、空と海が輝きを放ち、作者L.M.モンゴメリは「世界で一番美しい島」と表した。
自然の恩恵とともに暮らすこの島はまた、美食の地でもある。観光客のリピート率は実に8割に及ぶ。
作中にもチェリーパイなど数多くの料理が並ぶ通り、昔から農作物や海産物が豊富だ。その食材だけでも美味なのに、この地には他と異なる点がある。通常、レストランのシェフは食材を電話で注文したり市場で買い付けたりする。だが、ここでは農家や漁師から直接購入する。どれだけ丹精込めて育てられた野菜や家畜なのか、どうやってロブスターやムール貝が水揚げされたのか、シェフは自然と知ることになる。
生産者の思いや背景を知っているか知らないかでは料理やメニューの構成が大きく変わる。食材の何を活かしたらよいのか調理に大きく影響するからだ。島の高い美食レベルはシェフが生産者と深く関わっているためといって過言ではない。
だから島の料理学校では、農場で働き、漁を手伝い、酪農家とチーズをつくることも授業の一環だ。有名シェフも先住民に教えてもらいながら森の野草や浜辺の海藻を一緒に採りに行く。お互いに学び合い、助け合い、島の美食は進化していく。
島を訪れるうちに移住したシェフもいる。この島の素晴らしさを料理で伝えるなら、地元コミュニティと一体でなければ叶わない。生産者と向き合うのは初めてというシェフも心を尽くして腕をふるい、料理を通して地元愛を分かち合っている。
観光客も農場を歩き、時には漁師と船に乗り、みんなで長テーブルを囲んで会話を楽しむ。そして、あまりの美味しさに感動のため息を漏らしつつ、いつの間にか島のコミュニティの一員となっているのだ。
文=半藤将代
写真=Sander Meurs, Berni Wood, Paul Baglole
協力=カナダ観光局、プリンス・エドワード島州政府観光局
source : 文藝春秋 2022年9月号・10月号