おぞましいはきれい 甲斐荘楠音の《横櫛》

ふれる 日本の美を訪ねて 第1回

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◆新連載 作家・朝吹真理子が綴る美術をめぐるエッセイ

甲斐荘楠音との邂逅

「書かれた顔」という映画をみていたとき、歌舞伎役者の楽屋がうつり、鏡のなかにいる美しい女方が舞台を終えたのか顔にコールドクリームを塗りはじめる場面があった。くるくると指のひらで顔になじませると、まっしろいおしろいや紅が、どろどろのクリームに混ざって溶ける。あっという間に顔が消え、混沌としたのっぺらぼうになる。くずれてゆく数秒が、みょうに記憶に残っている。

 歌舞伎役者が、役に入るためにお化粧することを「顔をする」というのを知ったとき、呪術的な意味合いを感じて納得した。ダニエル・シュミットの「書かれた顔」は今年映画館でかかっていて、10年以上ぶりに見返したら、記憶のなかの顔の溶け方とはすこし違ったのだけれど、それでも、板の上や鏡のなかにしか存在しない幻の女が、化粧を落とすと消えてしまうふしぎさは変わらなかった。甲斐荘楠音(かいのしょう・ただおと)の絵をみると、その場面を思い出す。

 今年、京都で開催していた甲斐荘の回顧展をみにでかけた。絵画作品、ポートレート、スケッチ、スクラップ、映画の衣装、風俗考証の資料、彼のいろいろなすがたが、わかりやすく章立てされていた。

 甲斐荘は、日本画家として知られるけれど、土田麦僊に「穢い絵」だと罵られて、同じ展示会場に絵をかけることを拒否された。「陰湿な画壇」にいやけがさして映画業界に入った。溝口健二作品などの衣装や風俗考証をにない、晩年にふたたび絵を描きはじめる。

 ぐるっとめぐり、黄色い着物すがたが不穏な《横櫛》をじっとみてから、展示会場を後にした。友達に会ったり、仕事の原稿を書いていても、《横櫛》の笑顔が、頭によぎっていた。

甲斐荘楠音「横櫛」(大正5年頃制作、京都国立近代美術館所蔵)

愛と自己嫌悪

はじめて甲斐荘の絵をみたのは、図録か本だったと思う。着物で大学に通っていたころ、日本画にも興味が湧いて、いろいろみていたときに知った。女の人への親愛とわずかに嫌悪もまざった表情に惹かれた。読み方もわからない「甲斐荘楠音」とはどんなひとだろうかと思っていた。

 花魁の笑み《島原の女(京の女)》も、踊っている芸妓の絵《幻覚(踊る女)》も美しいのだけれど、同じくらいおぞましい。踊る女の方は、緋色の着物が炎のようにゆらいでいて目の化粧の赤も炎が燃え移っているように不安な気持ちにさせる。つま先の力だけ強く描かれているのに、ほかはなよやかで、手はふっくらしていて、脆弱だ。花魁の笑みも、蝋燭の明かりの反射で、おしろいの白が灰色にむくんでみえる。頬も、頬肉と表現したくなるように、描かれている。花魁の絵をいろんな画家が描いているけれど、お人形のように美しすぎると、なんだかそのことが悲しく思えてくるときがある。人は美しいばかりではないから、かなしみや、生臭く醜い負の側面も、甲斐荘の筆にはこもっている。自己嫌悪にも似たおぞましさがデフォルメされて、女のすがたにうつっていて、花柳界に夢をみていた土田麦僊にはそれが理解しがたく思えたのかもしれない。

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