著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、吉國元さん(美術家)です。
父に「元、次の本の表紙の絵を描かへんか」と言われたことがある。二〇〇五年のことだ。南部アフリカの近現代史を研究していた父は、ジンバブエを独立へと導いた当時のムガベ大統領と政権による白人農場主の土地収用についてまとめており、それは現在、『燃えるジンバブウェ』という本で読むことが出来る。
だが当時の僕は、絵は幼少時より描いてはいたものの、ジンバブエについては、日本では描いていなかったというのもあって、提案をあっさりと断ってしまった。
今なら描ける。父と子のささやかなコラボレーションが実現しなかったことを残念に思うが、それを悔いても仕方がない。父は翌年に亡くなり、ムガベはクーデターによって失脚、二〇一九年に死去した。僕がジンバブエ人たちを描くようになったのは、父が亡くなってからだ。
草が青々とした庭が見える。白い壁に赤紫色のブーゲンビリアが這っている。長靴を履いた庭師のチャールズがホースを引いて植込みに水をあげている。その家の子どもたちは庭を飛び跳ねる無数のバッタを裸足で追いかけていて、母親はテラスで子らを見ながら、考えごとをしている。建物の最奥部の父の書斎からはクラシック音楽が漏れ聞こえてくる。
一九九六年までジンバブエで暮らした吉國家のスケッチはこういうものだ。
父の足の右内腿には直径4cmほどの傷痕があり、その部分は赤黒く、冷たく艶々としていた。それは僕が生まれる前の酷いバイク事故が父の身体に残したものだ。研究に没頭した父ではあったが、仕事の合間にはゴロッと寝そべる時間があり、その時僕は父の足にしがみついて艶々としたその部分を指でなぞっていた。「折れた骨がそこを突き破ったんや」。父は子に言う。母は事故直後の父の姿について、「夫は熱をもった棒のように横たわっていた」と手記に書いている。
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