偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム
★小澤征爾
指揮者の小澤征爾(おざわせいじ)は、20代で国際指揮者コンクールにおいて優勝し、世界を舞台に華々しい活動を続けた。
1959(昭和34)年、23歳の小澤はパリに向かってスクーターを走らせていた。桐朋学園オーケストラの訪欧計画が潰れ「自分だけでも行こう」という無鉄砲な計画だった。しかしパリに着いて2年後には新進指揮者として世界の注目を集めていた。
35年、旧満州の奉天(現・瀋陽)に生まれる。父は歯科医だったが、満州を理想国にすることを夢見て活動していた。この間に生まれた三男に親交のあった板垣征四郎と石原莞爾から1字ずつもらって征爾と名づけたという。
小澤は幼いときから音楽の才能を示し、ピアニストの豊増昇に師事した。しかし、成城学園中学2年のときにラグビーで指を骨折してしまう。悩んだが目標を指揮者に切り替え、桐朋学園に入って独自の教育メソッドで知られる齋藤秀雄から指導を受けた。
59年、到着したパリでは、近郊のブザンソンで国際指揮者コンクールが開かれることを知って応募し、競争を勝ち抜いて第1位となる。翌年、アメリカのバークシア音楽祭指揮者コンクールではクーセヴィツキー賞を受賞した。同年、ベルリンで開催されたカラヤン指揮者コンクールでも最後の4人に残りカラヤンから指導を受けるようになる。
また、61年にはニューヨーク交響楽団の副指揮者に就任し、同音楽監督バーンスタインに師事する。さらに、カーネギー・ホール定期演奏会で日本人として初めて指揮者を務め、黛敏郎の『饗宴』を指揮して大好評だった。
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