日銀は3月19日の金融政策決定会合でマイナス金利の解除を決定した。11年の長きに及んだ異次元緩和との決別を果たし、記者会見に臨んだ植田和男総裁の表情にも安堵感が漂っていた。
マイナス金利解除のシナリオを描き、実現までのプロセスを管理した立役者は、内田眞一副総裁(昭和61年、日銀入行)である。次期総裁レースは、現時点では内田氏が「大本命」だと言っていいだろう。
だが、「首相に次ぐポスト」とも言われる日銀総裁の人事は、歴史的に見ても曲折がつきものだ。2008年3月には、いずれも大蔵次官を務めた武藤敏郎氏(昭和41年、旧大蔵省入省)と田波耕治氏(昭和39年、同)を総裁とする人事案が参議院で相次いで否決。前年の参院選で自民党が惨敗して「ねじれ国会」となっていたためだが、白川方明総裁(昭和47年、日銀)が誕生したのは、約3週間にわたる異例の「総裁空席」を経た後だった。決してすんなりとは決まらない。それが日銀総裁人事なのだ。
4月9日で就任から1年を迎えた植田総裁の任期は2028年4月まで。今後の4年間、「ライバル不在」とされる内田氏の前途に、どんな難関が待ち受けているか、まだまだ予断を許さない。
内田氏が練り上げた一点突破の「物語」
すんなりとマイナス金利解除を実現した日銀だが、そもそも金融政策とは経済理論や統計だけで決まるものではない。政財界からさまざまな牽制球が投げ込まれるため、政権中枢との暗黙の合意が欠かせないのだ。
だが今回は、「官邸も経済界も異次元緩和が限界を迎えていることはよく分かっていた。決定会合で決める時期も、早い段階で3月か4月に絞られていた」(日銀幹部)とされる。企画担当の理事としてそのお膳立てをしてきたのが、内田氏である。
政策転換への布石が打たれたのは、黒田東彦氏(昭和42年、旧大蔵省)が総裁だった2022年のこと。この年の2月にロシアがウクライナに侵攻し、資源、食料価格が急上昇。円安も進んだ。米国や欧州が新型コロナウイルス感染症の流行から抜け出し始め、日本もそれに続こうとしていた時期でもある。
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