遺言「石見人……」の真意とは
「政治記者の視点から描いた鷗外像」と「あとがき」にはある。鷗外森林太郎は明治の官吏として出世を遂げ、かたわら文学者としても令名を馳せた。その鷗外の晩年の心境に、公文書の世界から迫ったのが『宮内官僚 森鷗外』である。「政治記者の視点」が十二分に生かされ、「能吏」鷗外の活躍と挫折の5年間が描かれている。あの「余は石見人(いわみのひと)森林太郎として死せんと欲す」という遺言の謎にも迫るヒントがそこにはあった。地道な史料精査と新聞記者としての足の双方から、鷗外の明治人らしい「かのやうに」の生き方が徐々に見えて来る。

陸軍の軍医として最高位に就いた鷗外が退官の1年後、大正6年(1917)に宮内省で新たな仕事に就く。宮内省は陸軍と同じく、鴎外の「庇護者」山県有朋が支配する「山県閥」の重要拠点である。鷗外は「帝室博物館総長兼図書頭(ずしよのかみ)」となった。陸軍時代から鷗外は皇室との関係があった。大正2年(1913)から宮内省の臨時御用掛として、勅語の添削などにあたっていた。
宮内省入りした鷗外の仕事ぶりは、当時の新聞記事にうかがわれる。相変わらずの軍服姿で長剣をがちゃつかせ、朝から晩まで「事務家」ぶりを発揮する。月水金は上野へ、火木土は霞が関へ。上野の帝室博物館(現在の東京国立博物館)は、鷗外が陳列を時代順に変更し、観覧者数は大幅に増加する。予算の裏付けにも動き、4年間で倍増させた。
「図書頭」という古めかしい名の役職でも鷗外は手を抜かない。編修スタッフを続々と採用し、4つの歴史編纂事業を進める。その中で、いまでも大いに参考にされているのが『元号考』だろう。『天皇皇族実録』は鷗外の構想では、「天皇を、古から連続する歴史的な存在だと位置づけた上で、総体として把握しよう」とする。その際に、『渋江抽斎』以下の史伝の叙述形式を援用したのではないかと、著者は鷗外の意図を捉える。
「宮中某重大事件」で大正10年(1921)に鷗外の進撃は頓挫する。山県閥が衰退し、薩摩閥の牧野伸顕宮内大臣が宮内省改革の先頭に立つ。牧野はリストラを断行し、「政治的な後ろ盾」を失った鷗外の仕事は停滞を余儀なくされる。牧野が目指すのは、皇太子(昭和天皇)のメディア露出による皇室大衆化路線であり、鷗外の「歴史」路線ではなかった。
鷗外の「石見人」の対義語は、国家に尽す「近代官僚=近代日本人」ではなかったか。著者の野口武則の問いかけは、鷗外の陰翳をさらに深くし、鷗外の悲哀にまで踏み込んでいる。
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