AI時代を生きる叡智
大げさに言えば、「国民必携の新書」ではないか。国定教科書の時代ではないから、一冊の本を押しつけるつもりは毛頭ない。自動車の運転に道路交通法やメカの知識が最低限必要なように、インターネット上で議論する人に、いや、タクシーの中で床屋政談にふける人にも知っておいてもらいたい常識が詰め込まれている。オピニオンを発信する前に、「いいね!」をポチする前に、この本がチラリと頭をよぎる日本であって欲しい。
著者の佐藤卓己は、「長い射程で変化を考えるメディア史家」の立場から何冊もの名著を書いてきた。『あいまいさに耐える』はタイトルがわかりにくい。むしろ副題の「ネガティブ・リテラシー(消極的な読み書き能力)のすすめ」にAI時代を生きる叡智が込められている。
本書の体裁は、21世紀日本のメディア同時代史という形をとる。変転目まぐるしい近過去のトピックを著者の水先案内で追体験する。小泉メルマガ、鳩山ツイッターの時代から始まり、マニフェスト選挙、世論調査政治、想定外、ウェブ2.0、デモする社会、報道の自由度ランキング、フェイクニュース、玉「顔」放送などなど。議論のヒートアップと冷却忘却の繰り返しが、恥ずかしいほどに思い出されてくるはずだ。
これらの事象にそれぞれの時期、佐藤自身はどう判断し、何を書いてきたか。自らの議論時論を俎上に呈して、その妥当性を読者に委ねながら、著者の史観を示していく。批判歓迎、往来自由の議論の公共空間を作ろうとするかのようだ。なかでも、社会学者の佐藤俊樹からの根本的な疑義に、納得しながらも、「それにもかかわらず」と反論をじっくり考え、「耐性思考」に至りつくパートが興味深い。それは、言いっ放し、忘れっ放しが横行する社会の中で、「政治的にリアリストであり続ける」ことであった。
本書は第6章に至って、読み書き能力の向上ばかりを目指すのではなく、情報過多の今日こそ、情報をやり過ごし、不用意に反応しない「ネガティブ・リテラシー」が必要なのではないか、と主張する。学校秀才やAIのように黒白をつけずに、時間の経過に解決を委ねればいいものも多い。判断を急ぐなかれ。
ウクライナとロシアの戦争に関し、戦争報道では昔からフェイクニュースが普通だった、という指摘も重要である。「満洲事変も「柳条湖事件」という壮大なフェイクニュースで始まった」。確かにあの当時、事変に過熱せず、曖昧に「やり過ごす」能力が持てたならば、昭和史はまったく違った流れになっただろう。
もう1冊 上村剛『アメリカ革命 独立戦争から憲法制定、民主主義の拡大まで』(中公新書)合衆国建国を大河ドラマとして見立てる
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