「権威的正史」の虚構
中勘助の『銀の匙』が読み継がれるように、『吾妻鏡』も読まれるようになるだろうか。
そんな突拍子もないことを思ったのは、本書の著者・藪本勝治が灘高の「国語」の先生だと「あとがき」で知ったからだ。教科書を使わず、『銀の匙』1冊だけで教えた名物授業が灘高教頭・橋本武の『〈銀の匙〉の国語授業』(岩波ジュニア新書)だった。『平家物語』1冊ならありえても、『吾妻鏡』はさすがに無理だろうな、というのが私の勝手な結論だが。
『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』は、徳川家康によってその名を知られ、「権威的な正史」と見られがちな史書を、史実の側面から徹底的に解体するだけでなく、文学の視点からも読み直すという試みである。我々がドラマや歴史書で仕入れた鎌倉時代の主要エピソードは、がらがらと崩れていく。あれもこれもフィクションなのかと。
『吾妻鏡』の本文というと、太宰治が戦時下に書いた『右大臣実朝』に何度も引用されていた。窮屈な和製漢文で編年体の取っつきにくい文章だ。太宰はその引用に添いながらも、自由闊達な語り口を紡ぎ出した。
やはり戦時下に書かれた小林秀雄の『実朝』でも、『吾妻鏡』の本文が引用されていた。その当時でも既に編纂者の「勝手な創作にかかる文学」が混入した史書だと言われていたという。小林は『吾妻鏡』の「劣等な部分が、かえって歴史の大事を語」るという逆説を見ていた。
本書は歴史学の最新の成果を集大成的に反映させながら、さらに『吾妻鏡』を文学として読み解く。小林秀雄の読解に通じるものがある。『吾妻鏡』冒頭の頼朝挙兵の部分からして、事実に反する記述がふんだんにあると指摘する。頼朝が以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)で挙兵したというのは虚構で、事実は後白河院の密命でやむをえず挙兵した。では、なぜ設定を変える必要があったのか。後白河院の「院宣」であればその場に同席できない人物が、ランクが下の「令旨」であれば同席可能となる。頼朝と一緒に令旨を読んだのが当時は無位無官の北条時政(北条政子の父)だった。『吾妻鏡』は日記風の記事ではあるが、そこにさりげなく時政の視点を含み込ませる。「鎌倉幕府の歴史は、編纂主体である北条氏の本貫地(ほんがんち、名字の地)から語り起こされる必要があった」。
本書で一番仰天したのは、実朝が陳和卿(ちんなけい)に建造させた唐船の件であった。完成した船は海に浮かばなかったという話が虚構である可能性が高いという。実朝「悪王化」を意図した作文なのだと。
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