新史料も駆使した第一級の歴史書
日露戦争ではない。耳慣れないが『日ソ戦争』と著者は呼ぶ。第二次世界大戦の最終局面でのソ連の宣戦布告から、ポツダム宣言受諾を跨いでの1ヶ月弱を、ロシアは「ソ日戦争」と名づけ、光栄なる戦争と位置づける。日本にとっては悲惨な戦闘の連続だったこの戦争を、著者は中立国の観戦武官のように冷静に観察する。日中露関係史が専門の岩手大准教授であるから、特にロシア語史料を大幅に取り込み、新しい歴史像を作り上げる。
「貴国の航空機が、天気のよい風の強い日を選んで、厚紙でできた日本の街に大量の焼夷弾を降らせてくれればと願う」
この発言から『日ソ戦争』の歴史記述は始まる。発言者はアメリカのローズヴェルト大統領で、聞き手は駐米ソ連大使ウマンスキーだから、ソ連の外交史料に記録されたようだ。「雑談のうちに本音をのぞかせたのだろう」と著者は見る。この大統領発言はいつの時点だったか。驚くことに、日本軍の真珠湾攻撃の5ヶ月前にさかのぼる。
私のこの書評の書き方では、「驚くことに」とか、事実をあえて下品に強調しているが、著者の執筆態度は、もっとさりげない。事実を静かに提示して、史料みずからに語らせようとしている。その自信は、ロシアのみならず、米英中台日の公刊未公刊史料を徹底的に渉猟したという裏付けがあるからではないか。
日本語史料では、ロシアに保存される「鹵獲(ろかく)関東軍文書」が貴重だが、国内の誰でも調査できる史料からも「日ソ関係」の重要事実を発見する。2年前に国立国会図書館憲政資料室で公開された坪島文雄の日記の記述だ。坪島陸軍少将は侍従武官として、昭和天皇の傍近くで仕え、天皇の発言も記録した。
「昭和天皇は、一九四三年九月二三日に杉山参謀総長が上奏した際に、「南方の兵力増強の為支那より転用する計画なる所満洲よりなし得ざるや」と「御下問」し、中国本土よりも関東軍の部隊を南方に送ることを望んだ」
精鋭の関東軍は次々と南方に抽出され、関東軍は張子の虎となる。その事実が満洲での数々の悲劇を生んだことは昭和史の常識になっている。このそもそもの統帥計画の変更に、著者は静かに注目するのだ。
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