
『あのシーズンは開幕からなかなか疲れが取れなくて、調整遅れの感覚がありました。それで、6月に登録を抹消されるんですけど、そのとき監督から「後半戦は先発にまわってくれ」と言われたんです。そんなこと絶対に無理だと、ああ、終わったなと思いました。クローザーから先発にまわされて、先発でダメだったら次どこやるの? という怖さもありましたし、諦め半分というか、投げやりになっていた感じです。
でも、監督からはその場で「もう一軍で投げる日も決めてある」と言われて。なんというんでしょうか、締め切りが決まってるみたいな感じだったので、そこに合わせてとりあえずやるしかないと。それが8月4日の試合でした』
(増井浩俊)
真夏の千葉マリンスタジアムに自分の名前がコールされていた。8月4日のロッテ戦は北海道日本ハムファイターズの増井浩俊にとって、じつに6年ぶりの先発マウンドだった。不振で二軍にいたリリーバーが先発ピッチャーとして一軍の舞台に戻ってきた。大谷翔平が投手として長期離脱することになった状況を考えれば、おそらくベンチもファンも、その穴を埋める働きを求めている。だが、登板前の増井には期待に応える自信もなければ、投げることに対する胸躍る感覚もなかった。明日には再び二軍に戻るのだという投げやりな自虐と、望まないポジションで投げなければならないことへの反発だけがあった。その証拠に増井は、ホーム用と合わせて最低2枚は持ってくるユニホームを、この日のビジター用1着分しか持ってきていなかった。32歳の右腕は何の希望も抱かずにプレーボールを待っていた。
監督の栗山英樹から、後半戦は先発にまわってくれと言われたのは6月半ばのことだった。想定外の宣告だった。増井はリーグ屈指の抑え投手だった。前年は最後まで福岡ソフトバンクホークスのデニス・サファテとクローザーの勲章である「セーブ王」のタイトルを争った。だが、このシーズンは身体に切れがなく、打者の手元で鋭く落ちるはずのフォークが棒球になっていた。思うように空振りを奪えなくなった守護神は開幕から21試合に投げて防御率6.30(9回を投げれば6点以上取られることを意味する)と不安定な投球が続き、ついに指揮官から二軍で調整し直してくるよう命じられた。
今の状態では最終回のマウンドを任せられない。そう言われたことには納得していた。だが、先発投手に転向せよという指令はあまりに突飛だった。先発と抑えは同じ投手でありながら、まるで異なる職場だからだ。ときに出力を抑えながら、ひとつでも多くのアウトとイニングを稼ごうとする先発に対して、最後のスリーアウトを奪いにいく抑えは、ほぼ全ての球をフルスロットルで投げる。仕事の内容が正反対なのだ。シーズン中にいきなり1試合100球以上を投げる先発にまわって、身体が耐えられるのか、もしダメなら投手として行き場を失うのではないかという恐怖心もあった。だから増井は、その場で「嫌です」と指揮官の要請を拒絶した。
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