百福は日本統治時代の台湾南部で生まれた
日清食品の公式サイト「安藤百福クロニクル」には記されていないが、百福は日本統治時代の台湾南部、樸仔腳(現・嘉義県朴子市)で、「呉百福(ウー・バイフゥ)」として生まれた生粋の台湾人だ。
嘉義県政府の資料や「蘋果日報」「自由時報」など台湾紙の報道によると、百福は1945年に大阪で安藤仁子(1917~2010年)と結婚し、ふたりは1947年に息子の宏基を、1949年に娘の明美(元・日清食品ホールディングス監査役の堀之内徹夫人)をもうけた。日本の敗戦を受け、台湾生まれの百福は大日本帝国国籍から中華民国国籍となったが、1966年に帰化して日本国籍を再取得。仁子の姓「安藤」を名乗るようになったことは官報にも記されている。
3月30日に最終回を迎えたNHKの連続テレビ小説『まんぷく』は、百福・仁子夫妻の半生がモデルだ。長谷川博己と安藤サクラの好演もあり、放映開始当初から20%台の安定した視聴率で推移した。
だが百福は仁子と結婚する前に2人の台湾人女性と関係があり、それぞれと子供をもうけていたことはあまり知られていないだろう。ドラマはあくまでフィクションのため、台湾に関するエピソードや、仁子以外の女性たちとの関わりは一切、描写されていない。
ほぼ存在が消された形となっている台湾人女性
1人目の女性は1928年、百福が18歳で結婚した正妻の黄綉梅(フアン・シウメイ、1907~2011年)だ。
中華圏にはかつて、貧しい幼女を裕福な男児の家庭が買い取って養育し、成人後にふたりを結婚させる売買婚の習俗があり、その幼女は「新婦仔(シンプア)」「童養媳(トンヤンシィ)」と呼ばれた。綉梅もシンプアとして呉家に引き取られ、長じて百福と結婚。長男・宏寿(日清食品2代目社長、のちに安藤姓、1930~2007年)をもうけ、さらに養女1人を育てている。
そして2人目が前述した美和の母で、ほぼ存在が消された形となっている台湾人女性の呉金鶯(ウー・ジンイン、1919~71年)だ。
台北生まれの金鶯は奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)の保姆(保母)養成科在学中だった1938年ごろ、商売のため台湾と日本を頻繁に行き来していた百福と出会い、翌1939年から大阪で同棲するようになる。同年に宏男、1941年に武徳、1942年に美和の2男1女を産み、さらに正妻・綉梅の子、宏寿を台湾から大阪に呼び寄せて面倒を見た。
戦時中の大阪に生まれた美和は「呉 美和子」として届け出られ、大阪市の福島地区や吹田市千里山で育った。父・百福は仕事で常に多忙を極めていたが、冬になると美和のために腹巻きを買い求め、手ずから巻いてくれたあと一緒に寝たことが唯一の懐かしい思い出という。