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女流棋士第一号・蛸島彰子女流六段が語る「奨励会でたった一人の女性だった青春時代」

女流棋士第一号・蛸島彰子女流六段が語る「奨励会でたった一人の女性だった青春時代」

蛸島彰子女流六段インタビュー #1

2019/07/25
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反省がすんだら、負けたことを忘れる

 もう、辞めてしまいたいと思った時もありました。

 でも、どんなに負けが続いても、父だけは私を「女には無理だ」と否定することなく、ずっと応援し続けてくれていました。私が奨励会に入った時、「練習百連敗」という言葉を送ってくれまして。いくら負けたっていい、負けることで強くなれるんだ、という父の言葉は、大変励みになりました。

 それと、何かの本で読んだのか、人様からのアドバイスだったか、忘れてしまったのですが、「負けたら反省する。それがすんだら、負けたという事実を忘れる」という言葉に触れて、気持ちが吹っ切れた。今でもこの考え方は大事にしています。

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 結局、1級から初段になるまで3年かかりました。20歳でやっと初段になり、奨励会を退会したんです。結婚して、勝負の世界からは離れ、その後は将棋教室の助手をしたり、大会のお手伝いをしたり、NHKの読み上げの仕事をしたり。レッスンプロのような感じで将棋の普及活動に関わりながら、のんびりと将棋を楽しんでいました。

たった6人でスタートした女流棋士制度

 ところが、しばらくしましたら、アマチュアの大会でかなり好成績を上げる女性の強豪が数人現れまして、とても話題になった。

 将棋連盟は普及のためにも、女性のプロ棋士を輩出したいと思っていたわけですが、やはり男子と混じって、奨励会を勝ち上がり、四段(プロ入り)になるというのは、遠く険しい道のりです。

 スポーツの世界でも男女は同じ土俵では戦わず、女性は女性、男性は男性で戦っているのだから、それと同じように、将棋界も女性は男性と完全に分けてプロ制度を作ったほうがいいのではないか、という議論が起こりました。

 その結果、将棋連盟は、私を含む6名を女流プロとして認定し、1974年に女流棋士制度をスタートさせたんです。それに合わせて女流名人戦というタイトル戦も立ち上げることになり、6名で女流名人の座を争いました。将棋界初の女流棋戦でした。

 

 たった6名でスタートしたわけですが、それから45年経ちまして、現在、女流棋士は60名を超えています。女流棋戦も増えました。

 その土台づくりに貢献できたことは、嬉しく思っています。

写真=深野未季/文藝春秋

INFORMATION

 石井妙子さんの新著『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』(KADOKAWA)では、囲碁界で女性初の高段者となった棋士・杉内壽子、女性初の一部上場企業役員となった高島屋取締役の石原一子ら、各界で「女性第一号」となって活躍したパイオニアを連続でインタビュー。

 幾多の女性の一代記を手がけてきた著者が、女たちの歴史から、この国の姿を浮き彫りにするノンフィクション作品です。

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