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女流棋士第一号・蛸島彰子女流六段が語る「奨励会でたった一人の女性だった青春時代」

女流棋士第一号・蛸島彰子女流六段が語る「奨励会でたった一人の女性だった青春時代」

蛸島彰子女流六段インタビュー #1

2019/07/25
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習い事として将棋を指した初等科の日々

 当時は、誰でも初等科には簡単に入ることができました。遊びの習い事みたいな感じです。東中野にあって、お相撲さんのおうちを借りていたんですよね。千駄ヶ谷に将棋会館ができる前でした。

 一番下のクラスに入りましたが、女の子がひとりいて、対局したら負けまして、その子が30級だったので、じゃあ私は35級にしましょう、と。なんというか、おおざっぱでした(笑)。

 初等科は月に1回、第2日曜日に行って勉強するんですが、家ではもっぱら父と対局していました。父は三段の免状を持っていましたが、実際は(アマチュアの)初段ぐらい。父は私を強くしたくて、熱心でしたし、厳しかったです。

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 初等科の上に奨励会があり、その上にプロの世界があります。男の子たちは奨励会入り、プロ入りを目指して初等科で勉強しているのですが、私は、月に一度、習い事として将棋を指しに行くという感じでプロになるんだ、という気持ちはありませんでした。

 初等科でも女の子は途中から私ひとりになっていました。順調に昇級して、中学3年生で7級に。初等科に通う子どもの人数が減ってしまったこともあり、将棋を続けるなら奨励会に入ってはどうかと将棋連盟の先生方に勧められました。

「困難に打ち克つ力を」と願った父

 高校入学と同時に奨励会に入ったのですが、初等科と奨励会ではまったく雰囲気が違います。奨励会はプロの卵を育てる組織。全国から将棋の天才少年が集まり、四段(プロ入り)になるための狭き門を目指して一心不乱に勉強する研修機関です。

 女性が奨励会に入った例はそれまでになく、私が女性としては第一号でした。

 普通、奨励会は6級からなんですけれど、私は7級でスタートしました。4日と19日の月に2回が奨励会の対局日で、その日は学校を休んで将棋連盟に行きます。なんでも、「四苦八苦しなさい」という意味で、4と19なのだと聞かされました(笑)。

 実は私の父は大変に病弱で、私の中学生時代はずっと入院していまして、また、母はすでに私が2歳の頃、他界していました。

 ですから、父は常に「自分に何かあったら」と考えていたらしいんですね。私に将棋を勧めたのも、勝負の世界の厳しさを体験していれば、私が強く生きていけるのではないかと思ったからなんだそうです。人生の困難に打ち克つ精神力を勝負の中で身に着けて欲しいと期待したからだと。ある日、そう打ち明けられて、胸打たれました。ですから、私も奨励会に入ったのは、プロになるため、といった意識ではなく、ただただ強くなりたいと思ってのことでした。