この著者は、きっとすごく料理が上手な方なのだろう。文章のリズムが、料理を作るときのテンポに似ているのだ。まるで大きな魚が手際よくさばかれていくのを見ているよう。

 江戸の料理屋「八百善」の跡取り善四郎が、寺町の小さな店を将軍御成りにまで大きくしていく一代記。主人公の目を通して当時の富裕層の食文化を垣間見る……というとお勉強みたいだけど、料理屋のお座敷や台所を「どんなものを食べてたの?」とそっと覗かせてもらうような楽しさ。随所に「へーっ!」という驚きがちらばっていて、どんどんページを捲ってしまう。

 たとえば、この頃の精進料理には干瓢の出汁を使ったという。〈日向臭いような匂いがした〉とあるけど、確かに、干瓢を水で戻すときはそんな匂いがする。江戸時代は肉をあまり食べないぶん、植物系のうまみを繊細に使ったことだろう。おそろしく美味いんだろうなと羨ましくなる。

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 卓袱(しっぽく)料理の話も面白い。長崎では丸い卓を皆で囲んで食べる料理が流行りと聞いた善四郎が再現を試みるのだが、大きな卓を見た息子は目をまるくする。そういえば、江戸時代はめいめい膳で食べるのが普通だった。この唐土伝来の円卓が後の“卓袱台(ちゃぶだい)”となるとサラリと書かれる。へーっ!卓袱台なんて昔っからお茶の間にある物だと思っていたら、よもや舶来品とは。未知のことなのに、どこかで現代の私達とつながっている。そんな親しみのある驚きだから、誰でも楽しむことができるのだろう。

 どんな時代でもどんな社会でも、ものを食べない人はいない。だから、そもそも食という題材自体、誰でも興味が湧きやすいのだ。

 鱸(すずき)、鯛、鮎に瓜や茄子、みょうが……。登場する食材は今でもおなじみのものだ(あ、鶴は別ですよ。鶴をどんな風に食べるかは読んでのお楽しみに)。ステーキや寿司、天ぷらに慣れた現代で実際に並べられたら、ごちそうとは思えないかもしれない。なのに文章からごちそう感が溢れてくるのは、善四郎が食材を吟味し、手間ひま惜しまず、工夫をほどこしているのが伝わってくるからだ。

 出生の秘密に惑ったり、旅に出たり、芸者に恋をしたり。各章で色々なエピソードが繰り広げられるが、いつも物語の中心には善四郎の料理への熱意がある。小僧の頃から隠居まで変わらない真っ直ぐさが好ましく、つい応援してしまう。

 丁寧な仕事、一途な生き方。綺麗なものを見たな、という思いで本を閉じた。ただ一つ困るのは、善四郎が作る江戸の料理が食べたくて堪らなくなることだけど。

まついけさこ/1953年京都府生まれ。歌舞伎の脚色・演出・評論などの活動を経、97年『東洲しゃらくさし』で作家デビュー。2007年『吉原手引草』で直木賞受賞。小説に『縁は異なもの~麹町常楽庵月並の記~』などのほか、エッセイシリーズ『今朝子の晩ごはん』も。

せおゆきこ/料理研究家。手軽に作りやすいレシピに定評がある。『ラクうまごはん』『おつまみ横丁』『楽ちん台所塾』等著書多数。

料理通異聞

松井 今朝子

幻冬舎

2016年9月8日 発売