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東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか

東浩紀インタビュー #2

2020/07/25
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「流行りものを追いかけている思想家」

――今年は、ちょうどゲンロン10周年で、東さん自身は来年で50になられますよね。振り返ってみて、よく思想家の研究で前期、中期、後期みたいな切り分け方をしますけれども、ご自身では人生のなかで転換期というのはありましたか。

 転換期と言ったら、まず柄谷さんに出会って「批評空間」に「ソルジェニーツィン試論」を発表した93年ですね。で、次は『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』を書いた98年。それは結婚の年でもあります。次は娘が生まれた2005年。ぼくにとって、子どもが生まれたというのは、社会とは何かについて考えるようになったということでもありました。

 

 たとえばぼくは、それまで街中の小さな公園がなぜあるのか考えていなかった。ところが子育てをすると公園の重要性がよくわかる。公共空間、とりわけ物理的な社会空間に関心をもつようになりました。そういう経験があるからこそ、今回のコロナ禍でも、「ステイホーム、うまくいかないんじゃない?」「すべてオンラインで代替できるわけがないんじゃない?」とぱっと思うことができる。最後の転換がゲンロン創業の2010年といった感じですかね。

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――印象に残っている論壇人、文化人との交流をあげるとするならば、いかがでしょうか。

 そうですね……。今思いついたのは、評論家の山崎正和さんのことです。20年以上前にサントリー学芸賞を取ったあと、何度かお会いしたことがあります。その頃の山崎先生はまだお元気で、「君はデリダというのをやっているんだって?」と尋ねられた。まだ若かったぼくが「はい。デリダはこうでこうで」と説明したら、たしかヘーゲルだと思うんだけど、「それはつまりヘーゲルの言葉で言うとこういうこと?」みたいにぱっと翻訳されたんですね。それはとても正しい要約で、率直にすごいと思いました。ヘーゲルやカントを読んでいる人は哲学の軸がしっかりしていて、ポストモダンの思想が来ても自分の言葉で翻訳できる。それに対してぼくやそれ以下の世代は、「交通」とか「他者」とか「差異」とか、新しい言葉を上滑りさせていてダメだなと。昔の人たちの教養はいいものだと思いましたね。

 そもそも、当たり前ですけど、哲学というのは浮世離れしているものなんです。リアルタイムに最先端についていく仕事じゃないんですよ。

――東さんは現代思想が専門なので、そういう誤解を受けたことは多いんじゃないですか? つまり、流行りものを追いかけている思想家だと。

 常にそうです。今でもそういうことを言われます。

両側から叩かれて炎上しても、中間を行く理由

――東さんのお話を伺っていると、第三の道といいますか、単なる保守やリベラルではないし、単なるナショナリズムやグローバリズムでもない。中間をとることが大切だということを一貫しておっしゃっているように思います。ただ、これは実践するのはとても難しい。両側から叩かれて炎上することもある。それでもあえて中間を行くのは、なぜでしょうか。

 うちの会社が運営している「ゲンロン友の会」の職業欄を見ると、編集者や教育関係者が3割くらいですが、同じくらいIT系の企業の方やエンジニアもいます。また、イベント会場に来ている人たちを見ていると、むろん直接イデオロギーを聞いたわけではないですが、政権支持とまではいかなくても、保守系の方も半分近くという印象です。ゲンロンという会社をやるようになってから、ぼくを支えている人たちはいろいろな意味で「半々」なんだと思うようになりました。だから、ぼくも中間のポジションにならざるを得ない。

 

 それはつまり、ぼくが生活者であるということだとも思うんです。生活していたら、当たり前ですけど色々な人たちと付き合わなければならない。同じように、ゲンロンをやっていると、色々な業種の方とお付き合いをしなければならないし、お客さんにも色々な職業や政治信条の人がいる。みなさん何かしらの形でゲンロンに関わっているのであり、まずはそれを尊重しなければ生活もビジネスも立ち行かない。むろん、そういう中でぼくも政治的な情報発信をしなければいけない時もあるわけだから、そのときは極端なことを言う勇気ももたなきゃいけない。けれど、自分の「陣営」のためにSNSで次から次へと話題に食いついて、左翼っぽいことを言ったり、右翼っぽいことを言ったりすることはできない気がするんですよね。