エビデンスは「真実・真理」という意味ではない
エビデンスというのは「根拠」という意味ですが、「エビデンス=真実や真理」ではありません。あくまでも現時点で最も確からしいという意味に過ぎません。エビデンスも低いレベルから高いレベルまでピンキリであり、エビデンスが得られたといっても研究者の一見解に過ぎない程度のものもあり、誤っている可能性があるものも含めてエビデンスです。そして、「エビデンスがない=ウソ、ニセモノ」というわけでもありません。しかし、エビデンスの有無のみが価値基準となり、低いレベルのエビデンスを印籠のように振り回す人もいるのです。
客観的指標のない精神科領域では、いとも簡単にエビデンスは歪められます。安全性、有効性を確かめる厳格な治験においてですら、不正なデータ捏造が行われたこともありました。
エビデンスは重要ですが、エビデンス至上主義に陥ることは、皮肉にも真実から目を背けることにもなるのです。そして、そのようにエビデンスを悪用することもできるのです。
確かに世の中にはインチキ療法はたくさんあります。弱みにつけこむ発達障害ビジネスのようなものもあります。しかし、主流派のインチキを批判することなく、非主流派の手法によって実際に良くなっている人々を確かめることなく頭ごなしに否定するような人々は同じくらい信用できません。
大切なことは何なのか
私は、今ここでどの手法が良いとかダメだとかいうつもりはありません。既存の療育や薬物療法の是非を問うつもりもありません。重要なのは、選択肢が多くあること、選択する自由が守られること、選択するために十分な情報が行き届いていることです。
私が批判しているのは、精神科診断が絶対視されることで将来の進路が制限されることや、薬物治療以外に選択肢がほとんど与えられないことや、十分なインフォームドコンセントのない投薬がはびこっていることや、しばしば薬物治療が強要すらされていることです。このような状況がある限り、健全な議論も有用な選択肢も広がりません。