機能不全家族で育った虐待サバイバーであっても、絶対に子どもを虐待してはならないと、自分の中で固く決意している。
特定の属性が有する犯罪率の高さは、その属性を持つ個人の問題というよりは社会構造的な問題だと考えられる。
必要なのは「“加害リスク”を持つ者を排除しよう」という動きではなく、子どもへの性犯罪・虐待が起きづらい環境の整備や、被害が疑われる子どもをいち早くケアに繋げやすくするなど、社会全体のシステムの見直しではないだろうか。
居場所を奪われた人たちの行く末について
日本ではかつて、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の宮崎勤元死刑囚にまつわる偏向報道によって、世間で「オタクバッシング」が起こった。いわゆるアニメ好きや「ロリコン」の男性に対して「現実と妄想の境界が曖昧であり、性犯罪者予備軍だ」などといった無根拠な偏見が強まったためだ。
そうした理不尽なバッシングに遭うことを恐れた人々が、いわゆる「オタク」と呼ばれる趣味趣向を隠さねばならない時代が、確かにあった。
ここ数年、社会から排除され、居場所を失いつつある人々の行く先について、考えさせられることが増えた。
子どもを虐待した親、少年院を退院して行き場のなかった子ども、薬物依存症の患者や引きこもりの中高年、住所不定無職の人、そして「異常性癖」とされる性的指向を持つ人たち。
彼ら彼女らを無根拠な差別や偏見によって「社会」から追い出せば、そうでない人たちの平和は守られるだろうか。私にはそうは思えない。
ケアや支援を必要とする人々を締め出してしまえば、彼ら彼女らは社会参加の循環プロセスに乗れないまま、一体どこに行ってしまうのだろう。