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「新解さん友の会会長」として

「なんで鈴木さんは、八版で消えたかもしれない言葉とか、すぐにいろいろわかって調べているんすか。それ、やばいっす」

「だって、前の七版が出たらすぐに、次は残るかな、って考えながら読むから。消えそうとか、言い方変わるかもしれない言葉をメモしている」

「まじっすか」

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 はい、わたしは「新解さん友の会会長」ですから、まじです(この「友」ですが、立場としては「夏休みの友」に共通している「友」です)。

隣り合って困っているような言葉のメモ ©️文藝春秋

 七版が出たのは9年前だから、9年間ずっと次の改訂を思って読んできた。だから、今は次の九版ではどうなるか、と思って読み始めている。でも、9年間ずっと怒っていることもある。9年のすべてを改訂のために生きてもいない。

「なんでそんなに改訂とか気にするんすか。自分は全然気にならないっす」

 わたしは、目の前の猫田君を見た。こういう人を青年って言うんだろうなぁ、と思う。

「あのね、これはわたしと新解さんの闘いなの」

 闘いというか、合戦というか、なんと言えば正しく通じるのだろう。わたしには、遠くからほら貝の音が聞こえているけれど、猫田君には全然聞こえないみたいだ。

「よその人に理解してもらえなくても別にいいんだけど、新解さんの改訂ってね、あれは全部わたしに見せるためにやっているの。だから、わたしはその役目をちゃんと果たしたいの。ただそれだけ。猫田君、お天道様って知ってる?」

「あ、ばあちゃんが言ってました」

「ああ、そう。お天道様が全部見ているから、そばに人がいてもいなくても、ちゃんと正しくしないといけないって、おばあさん、言っていた?」

「言ってたっす」

「そう、お天道様って、全部見ているものなの。だからね、わたしも、新解さんのやっていることは鈴木マキコが全部見ているって、思っていたいの。だから全部読むの」

「え、鈴木さんはお天道様なんすか? それ、やばいっす。まじ、やばいっす」

 猫田君を代表する他人のみなさんに、やばいと思われても何でもいい。自分のお金で買った自分の新解さんを、わたしがどう解釈しようと、それはわたしの自由です。どなたにも、ご迷惑はお掛けしていません。わたしは自由な女よ、ラララ、とでも歌いたいところだ。