社会の構成員というプロ選手の自覚
彼らは人権問題や人種問題にも心を砕く。
2020年8月に、黒人の男性が警官に銃撃された。この事件が起こったウィスコンシン州に本拠を置くミルウォーキー・バックスが、抗議の意を込めてリーグ戦をボイコットした。MLBでもミルウォーキーを本拠とするブルワーズが、同じ理由で試合を延期した。
自分たちは社会の構成員であり、社会に貢献するとの意識が、NBAやMLBの選手には文化として定着している。ファンも分かっているから、「NBAケアーズ」に参加中のカリーを取り囲んだり、サインを求めたりはしない。NBAケアーズとはそれぐらい特別なものなのだ、という文化がある。
社会に良い影響を与えるツール
Bリーグで働いていた当時、私はよく考えていた。はたして自分は何のためにスポーツビジネスを仕事としているのか?
マーケットが大きくなっていくのは、競技の持続的成長のために必要な条件だ。しかし、その先に「プロ野球のように年俸数億円の選手を何人も出す」とか、「オリンピックのバスケットボール競技で金メダルを獲る」といった未来図を描いているわけではなかった。スポーツが社会に良い影響を与えるツールになることこそが目的なのだ。
社会課題や地域課題を解決したいとなった時に、スポーツチームは具体的な解決策を持っていない。その代わりに、所属選手を介して「今はこんな問題がある」と世の中に発信することができる。
解決策を持っているのは地域、行政、NPOなどだ。社会情勢に照らした解決方法を、彼らは生み出すことができる。しかし、発信力には乏しい。問題解決の費用も、十分に持っているとは考えにくい。
お金を用意できるのは企業だ。彼らは発信機能でチームに、問題解決機能で地域や行政に劣るものの、資金面から支援することはできる。
「NBAケアーズ」は、まさにこの三位一体のモデルだ。お金を出す人、解決する人、発信する人の役割分担ができあがっている。